ドリブルとは全身を使って踊るということ。
こんにちは。
今回は、サッカーのことについて書いていこうかなと思います。
そろそろ、こっちの歩みも進めるときかなぁと思ったので、
とりあえず、だらだらと書いていきたいと思います。
僕は、ドリブルって踊ることだと思ってます。
手の指の先まで使い、
指の動かし方で、体の動きも変えて、
その僅かな動きの変化で、相手を抜いていく。
肩の上げ幅を使って、体を前後に揺らしたり、
肩の上げ幅の変化で、タッチの強弱や、
ボールの扱える距離を変化させたり。
その他にも色々あると思います。
右手の小指を僅かに折り曲げ、
その僅かな力を使って、体重を右に寄せ、
その溜めた力を使って、手を使い左に引き戻し、
その力で爆発的に左に加速していくとか。
全身を細やかに扱うことで、
タッチの仕方が何百パターンにもなります。
肩のみで肩の上げ下げするか、
肩甲骨を使い、肩に柔軟性を持たせるか、
そこに肋骨も使い、上半身に躍動感をつけるか、
またそこに、手の指も使い、
足の指の接地に多様性を持たせるか。
使う部位が増えるは度に、動きは多様性を生み、
使う部位を使い分けることで、踊りを作ると思ってます。
ただ僕が思うに、体の部位を細かく使うコツは、
【自分でやろうとせずに、体に委ねること】だと思います。
なぜかというと、自分でやろうとすると、
必ず力んでやろうという発想に繋がるからです。
地面を強く蹴ろうとか。
もっともっと、全身を硬めようとか。
自分の体の一部で解決しようという発想になりがちです。
それも悪くはないのですが、
自分の体のどこの部位を使ってないのだろう?と問いかけ、
体を探求する方が、遥かに上手くなると僕は考えてます。
例えば、石に躓いた時、
こけないように踏ん張るのと、
こけても良いやと体を流れるように運ぶのとでは、
次の対応が全然違います。
一度力むと、体重が全部、かかってしまうので、
流れるように進んでいかないんですよね。
でもこけても良いやと思っていると、
体は勝手に様々な骨や関節を使ってバランスを取りますから、
力むことなく、次の動作も素早く動けるのです。
この辺りは、僕も修行中なので、
細かくは言えませんが、
こけた時の自分の動作を観察してると、
力んでる時ほど、被害が大きいなとやはり感じます。
この辺りは、心理パターンも関連してるところだなと感じます。
迷惑をかけたくないと思えば、きっと力むに力むでしょう。
でも迷惑をかけても良いと思えば、力まずに、対応できるでしょう。
だからこそ、体の探求は心の探求でもあるし、
心のパターンが変われば、体のパターンも変わると、
しみじみと感じています。
まあ今回はこの辺りで。
お読みいただきありがとうございました。
匂いと感情の関係性。
こんにちは。
今回は、匂いと感情の関係性について書いていきたいと思います。
匂いって結構、個人的にはデリケートな話だと思うんですよね。
匂いに悩んだ僕だからでしょうか。特に敏感に感じる話題です。
さて。本題からいきなり入ると、臭いと感じることってありますよね。
ゴミの匂いでも良いですし。人の体臭とか口臭とかでも良いです。
世間一般的には、口臭や体臭を発生させないのは、一つのマナーとして扱われていると思います。
だからこそ、色々な匂い対策グッズが売られてるのだと思います。
ただ、今回は、匂いを感情の観点からアプローチしていきます。
女性を守れる男性になりたい!と思ってる男性、必見ですよ!!
さてさて。人の口臭を感じた時って、心の中ではどう感じるでしょうか。
どんな匂いがきても、全く気にならない人もいるでしょう。
臭いなと感じて、我慢しようと思う人もいるでしょう。
臭いなと感じて、その人を避けようと思う人もいるでしょう。
まあ色々な感じ方があると思うんです。
ただ不思議なのは、匂いが全く気にならない人もいるということです。
それは何ででしょうか?
私達は、誰しもが、本能的な部分を持ち合わせています。
何千、何万年という長い時をかけて、作り上げてきたものです。
だから、自分の生命が脅かされる部分に関しては、とても敏感です。
恐らく、生きていて、自分が臭いなって感じたことない人って居ないと思うんですよ。
そして、自分が臭いなって感じる時ってどういう時でしょうか。
例えば、歯を磨いてないと時。口の中に問題がある時。
他には、イライラしてる時。緊張状態の時なんかもそうでしょう。
大抵、こういう時というのは、心が安心している状態ではないですよね。
自分の臭いに気を遣えないくらい忙しいとか。
なんか、すっごい怖さや不安があって仕方がないとか。
何か、心理的に問題がある時だと思うんです。
で、この状態をもし、原始時代の角度から見ると、どうでしょうか。
敵か味方かわからないのに、目の前にいる人が、イライラしてたり。
すんごい怖がってたり。
すんごい、みすぼらしい感じだったり。
何かこっち側としては、その人に怖さを抱きませんか。
その人を余裕がなくさせる何かがあるのか、ってと思うんです。
だから、恐らく避けるか、警戒するか、すると思うんです。
多分ですが、よっぽど肝が座ってないと、心は許しませんよね。
こういった心理状態が、臭いと感じる時に起きてるんですよね。
臭いって、感情によって本当に変化するし、
人はそれを感じ取れるんですよね。自分を通して知ってますから。
だから、もし、自分の緊張状態を嫌っていたら、
緊張状態からくる臭いを発する人を、不快に思うはずです。
自分が緊張状態の時に、どんな欲求を持ってるか知ってるからこそ、
その人に自分の抱いてる欲求を写し出してしまい、
その人はそういった行動をすると決めつけてしまいます。
すると、その人は怖い存在に、なってしまうわけです。
まあ簡潔に言えば、臭いはその人の感情や思考パターンを、教えてくれているよ、といったような感じだと思います。
だからこそ、臭いを感じた時に、自分はどんな感情を嫌っているのだろう?と視点を持ってみることも大事だと思います。
あとは、ここが一番、男性にとっては見たいポイントだと思いますが、
自分の中の攻撃性を嫌っていると、
本当に臭いものとか、風呂場のぬめりとかに、
鳥肌の立つような不快感や、気持ち悪さを感じたりするんですよね。
これはなぜかというと、普段の清潔な状態から、変化した状態に対して、
勝手に変化するってことは、相当危険なんじゃないか?っていうのを投影してしまうんですよね。
自分の怒りや攻撃性を感じた時に、それがどうして起きたのか?を知らずに、
良くないものだから抑え込もうとしてると、こうなったりします。
なぜかというと、何かを害するものになる変化を許さないからです。
だから、本当に臭いものとかぬめりとか、変化するものに、
すごく得体の知れないような危険を抱くんですよ。
これは多分、臭いとかだけじゃなく、
車とか電車とかに対してもそうじゃないですかね。
車や電車って、当たれば死にますから、角度を変えれば攻撃性そのものです。
自分の攻撃性を嫌ってると、めっちゃ怖くなります。
だから要は、自分の攻撃性を受け入れないと、
攻撃性を持つ何かや人に果敢に挑めないので、
結果的に、女性を守れなくなりますよ、といった感じです。
なので、自分の攻撃性を受け入れれば、守る力が養われますよ。
自分の感情を受け入れれば受け入れるほど、
どれだけ臭かろうが、相手を大切に扱えますよ、というお話です。
あと、一つだけ余談を。
僕はすごく、匂いに何年も悩んだのですが、
自分の匂いに悩む心理パターンとして、
匂いそのものが、目立つことであり、孤立することだ。
というような、心理パターンを持つことがあります。
僕はいじめの経験があるのですが、その心理パターンを持っていました。
まあ心の深いところを見ていくと、
匂いが原因ではなく、匂いを原因と判断してるだけですけどね。
そうすると、人の匂いが凄く気になることがある。
自分の匂いが、人から孤立する原因だと思っているだけに、
匂いを持つ人のことを、孤立する人だと断定してしまう。
もし、この時、孤立する自分に対して、
攻撃性を持っていると、臭い匂いを発する人に、
強い攻撃性を持ってしまうことがあるんですよね。
といった形で、匂いが気になる、というのは、
自分の中の感情の問題の本質を、隠すものとなりえることがあります。
これは匂いだけでなく、外見的な特徴のほどでそうですけどね。
どれだけの人に見ていただけるかわかりませんが、
自分の匂いが気になる人も、根本的な傷を癒せば、
過剰に気になることなく、生活できるよ、
という希望だけはお伝えできたらなと。
自臭症の状態は、自分も経験があるだけに、地獄そのものです。
だから、すごいお気持ちはわかります。
今回はこの辺で。
お読みいただきありがとうございました。
なんで、命令口調を使ってくるの?
今日は、楽しいんでもう一個書きたいと思います。
今回のお話は、「なんで命令口調を使ってくるの?」というお話についてです。
僕が命令でぱっと浮かぶのは、軍隊ですかね。
こうしろ、ああしろ、と言われたりするような感じがしています。
なんていうか、ピリピリした空気感のような、緊張感ばりばりのような感じがします。
僕が思うだけかもしれませんが、何かしらの危険が付きまとっている時に、命令口調というのは使われるような気がします。
まあ、軍隊とかだとイメージがつきやすいですよね。
ただ、軍隊のような、客観的に危険が付き纏わないような場面でも、
命令口調を使ってくる人とかっていますよね。
仕事場でとか。学校でとか。そういった場所じゃなくても、命令口調を使ってくる人というのはいるでしょう。
さて、これってなんでなんでしょうかね。
基本的に、よっぽどの危険がないのであれば、命令口調じゃなくても良いはずです。
でも、危険じゃなくても、命令口調を使うのだとしたら、
その人の心の中で、危険なイメージが出来上がってるのかもしれません。
例えば、何かお願いをしてくる時に、命令口調で伝えてくる人がいたとします。
「これやれよ」といったような形で。
そうした時、もしかしたら、その人の中では、
その内容を誰かがやらないと、誰かに怒られたり、責められたりしてしまう、といったような心のパターンがあるのかもしれません。
本来、お願いを誰かがやらなくても良いとしたら、
お願いしても良いし、しなくても良い、といった形で選択肢が生まれるはずです。
しかし、命令といった形で、強制を相手にさせるとしたら、
その人の中で、強制させないといけない理由があるのかもしれませんね。
それが何なのかは人によるかもしれませんが、
その命令を達成することは、その人にとっては本当に大事なことなのかもしれません。
今回はこの辺で。
お読みいただきありがとうございました。
罪悪感って実は良い感情!?
こんにちは〜。
これからしばらくは、心理学についてを色々な角度から書いていきたいと思います〜。色々な練習をしたいなーと思ったので。
今回は、罪悪感についてですね。
罪悪感を感じる時って、嫌な感情を感じると思うんですよ。
あの、自分が許されてないような、いやーな感覚。
できれば、あんまり味わいたくない感情だと思います。
ただ、この感情って苦しいけど、めちゃくちゃ良い感情なんですよね。
なぜかっていうと、罪悪感は人の気持ちがわかった瞬間に感じるものだからです。
んん?とはてなマークが付いた方が多いと思います。
どういうことかと言うと、自分の思っていたことと、相手の思っていたことが違った時に感じるものなんですよね。あれ、これでも、まだ分かりづらいかな。
別の角度から説明すると、
例えば、僕がアンパンマンをなんか知らないけど、悪の人だって思ってたとします。
それで、バイキンマンが正義の味方と思ってるんです。何故だかわからないけど笑。
こんな時に、もし、アンパンマンは正義の味方なんだよ?と誰かに言われたらどうでしょうか?きっと、そんなわけねぇだろう、と思うと思うんですよね笑。
だって、自分の考えが間違ってることになりますから。
でこの時ですね、アンパンマンは正義の味方なんですよ?と言われたとしても、そうなんだーで流しても良かったんですよ。でも、流せなかった。
それなんでかというと、アンパンマンを正義の味方と言う人がいることを知ってしまったからです。まあ気持ちがわかってしまったっていう感じですね。
こうして、人は簡単に罪悪感を抱いてしまうのです。
さて、そうなると、この罪悪感って裏を返すと、どういう意味があると思いますか?
まあもう、答えを言ってしまうと、【人の気持ちを知ること】に役立つんですよね。
つまりどういうことかと言うと、罪悪感をちゃんと認めてあげれば、人の気持ちがどんどんわかっていくようになるということです。
人の気持ちがわかるということは、どういうことか例をあげますね。
例えば、アンパンマンを正義の味方と思ってるAさん。
バイキンマンを正義の味方と思ってるBさん。が居たとします。
さてさて、この二人は、お互いの意見を主張した時、罪悪感を感じるはずなので、きっと、「そんなわけねぇだろう!」と言うはずです。
でも、ここでもし、自分の罪悪感を受け止めていたらどうなるでしょう?
どうなるかというと、「アンパンマンが正義の味方と言う人もいる、バイキンマンを正義の味方という人もいる、じゃあ、なぜ、そこに違いがあるのだろう?」といったように興味を持つことができるんですよね。
なぜかというと、バイキンマンが正義の味方であることも、アンパンマンが正義であることもどちらも事実だから、という見方ができるからです。
すると、その事実は単純に一つの情報として取得できるので、次の段階に興味が向きやすいんですよね。
この辺は、弁証法の形となるんですかね?僕も勉強してないんでわからないですけど、こういった言葉を使うとかっこいいんで、言ってみました笑。
とりあえず、今回はこの辺で。
ありがとうございました。
行動を変える、自己分析の仕方。
こんばんは。
今回は、いつもと主題を変えて、僕がいつもやってる自己分析の仕方について、書いていきたいなと思います。
まあ、自己分析といっても、セラピー的なものに近いんですけどね。
今回は、早速、本題に入りたいと思います。
僕が今やってるのは、自己表現や自分らしさに許可を出す、というのを主題にした、セラピー的なものです。
やり方としては、(あ、ノートとシャーペンかなんかが必要です)
まず、こうされても嬉しくないな、っていうことを書きます。
例とするなら、僕は君のやり方は間違ってると言われても嬉しいと思えない人間です、といった形で書く形です。
次に、じゃあ、どうして嬉しくないのか?というのを書いていきます。
僕だったら、そんなことを言われても、自分のためにならないし、何か、自分の人生を否定された感じがするな、と書きます。
ここでは、言われた時に感じる嫌な気持ちをちゃんと書くことがコツです。
次に、けれど、自分はその人にとっては必要じゃないかも、その人にとってはダメだったのかも、というような思いを書きます。自分の、罪悪感やダメだなって感じる気持ちに、正しさややり方を超えて、正直になる形ですね。
僕だったら、けれども、そんな否定された感じがするとか思ってしまう自分は、相手にとってみれば、すごく不快かも。こんな風に、不快にさせてしまうようなことを思ってしまう、自分って最低で、本当にダメだなー、的な感じで。
そしたら、次に、どうして嬉しくないのか?で書いた部分で、感じられる良いところを直感的に上げていきます。
僕だったら、自分のためにならないってことが分かってるってことは、軸があるし、何をすれば自分のためになるのか分かってる。それに人生を否定された感じが分かるということは、自分が何をすれば何を感じれば、肯定された人生を感じるのかを本質的に分かっている、それくらい、自分のことが本当はよく分かってる、的な形で。
次に、そんな才能があるのに、普段、自分はこうしてしまう、こういった気持ちを優先させてしまう、といったことを書いていきます。
僕だったら、相手が否定された感じにならないように、いつも、否定された気持ちとかに正直になれなかったり、相手がすんごくショックを受けたりして、立ち直れなくなってしまう、とかにしてしまい、自分のことをよく分かってる、分かってるからこそその気持ちに準じて行動するという才能を使わないように生きている、といったような感じで。
最後に、相手のことをそんなに考えて自分の才能を使わない、選択をしたり、人生を生きていったりするほどに、その人のことと自分のことが大好きで、大切なんだね。という風に書いて、終わりです。
まあ、こんな感じですかね。
次に、なぜこうするのか?といったことを説明したいと思います。
まずは、一番目について。
なぜ、嬉しくなかったことを引き出すのかというと、人の行動には必ず愛があるからです。例えば、嫌味を言うとか、攻撃するとか、そうしたことって、大抵相手に何かしらの価値を見てないと出来ないですよね。
もちろん、そんなの愛ではないと思うでしょうが、心の奥深くでは、それが実は愛からきているということを知っているんですよね。
だからこそ、愛を受け取れてないところには必ず罪悪感が生じる。
例え、それがどういう行為であったとしても、感じてしまうんですよね。
すると、必ず執着するんですよ。あいつが悪い!といったような気持ちに。
そうなると、被害者意識に陥り、その部分での主体性が消えてしまうんですよね。
なので、まずは、愛を受け取れてない、被害者意識に陥ってる部分を引き出す目的として、嬉しくないところを引き出していきます。
次に二番目。どうして、それが嬉しくないのか?を書く理由です。
ここは自分が本当に持っている主体的な才能を引き出す目的です。
だいたい、ここで書かれる思いというのは、拒絶とか、断るとか、相手の気持ちよりも私の気持ちを最優先した行動になることが多いです。
つまり、その自分の気持ちを優先させられる、自分の才能に目を向けてみましょう、という目的があります。
あとは、ここで書かれた才能というのは、大抵、自分では自覚していないとか、そんなことできるわけがない、と思ってることが非常に多いと思います。
ここについては、あとで詳しく書きます。
まあ心理学用語で言えば、問題の裏には才能がある、という概念です。
次に三番目。ここで罪悪感やダメだった自分を、なぜ書くのか?についてです。
これは、潜在的な罪悪感や無価値感を引き出すためです。
というものの、罪悪感や無価値感といった感情は、自分らしさを表現しない、形として行動として現れてしまうのですよね。
これはなぜかというと、人は人を愛したい生き物なので、愛せなかった時に、必ず罪悪感や無価値感を感じるものなのです。だからこそ、同時に、受け取れなかったことにも罪悪感や無価値感を感じるようになってるんですよね。
なので、一旦、深いところの罪悪感とか無価値観を認識しないと、自分らしさを表現することにオッケーが出せないんですよね。
無価値観や罪悪感があると、必ず、自己表現に対して、本当にマイナスなイメージが付きますから。一旦、私はダメで、悪いやつなんだ、っていうことを認めることが、本当に大事になります。
心理学用語で言えば、サレンダーですね。
私はあなたに何もできません、本当にダメでどうしようもないやつです、といったように全面降伏する感じです。
ここに入って、初めて自分が認識してなかった愛が入ってきます。
次に四番目。どうして良いところを上げるのか?についてです。
これは、罪悪感や無価値感となってる部分を、俯瞰的に見るためです。
どういうことなのかというと、私は問題だと思っていたところに対して、違う解決方法を知ってますよ。また、その問題がなかったら、自分はこんな人生を歩んでましたよ。といった形で、自分は本当はこういう選択ができて、こういう人生を歩めたんだ、というのを自分の中で認識するためです。
こうすることで、違う自己イメージが出来上がるんですよね。
もちろんこれは、自分のダメな部分や悪い部分を認められたからこそ、出来上がる部分でもありますが。
自分は本当はここに罪悪感を抱いていて、自分のここがダメだったんだと、正しく気付けると、違うイメージも素直に受け取りやすくなるんですよね。
これは、ダメだった部分や悪い部分というのと、良い部分というのは感覚的にセットだからです。
ここで感覚的には、再誕生の層だと思います。
あ、私今まで自分はこうだと思ってたけどま、本当はこんなことできたんだ、っていうような感覚だと思います。ただ、まだモヤモヤは残っていると思います。
次に五番目。なぜ、こうしてしまった、相手のここを優先させてしまった、といった後悔や懺悔のような気持ちを書くのか?についてです。
これは、自分の中の、愛と繋がるためです。
どういった気持ちで、自分は相手を優先したのか。
どういったことを危惧して、自分は自分を表現しなかったのか。
自分の中の罪悪感や無価値感の持つ、愛に触れていきます。
こうすることで、自己表現といったものをする以上に、自分は大切なことがあったんだ。自分はこんな形で人のことを愛していたんだと、気付くことができます。
そうすると、自分は誰かを愛していなかったわけではなかったんだな、救えていなかったわけではなかったんだな。ということは、自分はダメではないし、悪いわけではない、といった気持ちに向かいます。
これはなぜかというと、自分の本当の気持ち。つまり罪悪感や無価値感を超えた先にある、愛と繋がったことで、その愛を自由に使えるようになったからです。
要は、罪悪感や無価値感を抱える形で愛を表現するのを卒業した、という形です。
そうすると選択肢が広がるので、私はダメだったという思考に入らなくなります。
またそれだけでなく、自分はダメでもなかったし悪いわけでもなかったので、自分を表現することにも抵抗がなくなっていきます。だって、自己表現しなかったのは、誰かを救い、助けるためだったんですからね。
だからここでの文言は、自分の持ってる才能以上に、大切なことがあったということに気付く目的もあります。これに気付けると、こういった時は、自己表現とは違う選択をとって、そうでない時はこうしよう。と主体性が戻りますから。
次に、最後の、大好きだったんだ等々と書く理由ですが。
これは意識的に、自分の本質的な愛に触れるためです。
要は、主体的にそうだったんだなと落とし込む形ですかね。
こうやって書くことで、大好きだったんだという事実から、なぜそうなのか?と理由を探し始めますので、今まで書いた理由が腑に落ちやすいんですよね。
そうして腑に落ちると、なぜか、自分の世界が変わってるとかになります。
といった感じですかね。
まあ簡潔にまとめれば、ダメだったと感じる誤解を解いて、自分の本当の愛に気づき、自己表現を自由に主体的にしましょうよ、といった形です。
ただ、いくつか注意点があります。
多分、このセラピー、相当しんどいです。
深いところにある罪悪感や無価値感を扱っていくので。
なので、やってる途中に、相当、気持ち的に落ちるはずです。
だから書いておいてなんですが、あまりオススメできません。
ずっと自分と向き合ってきた自分でも、これは相当にしんどいです。
だってお前が悪い!と思ってるところを自分が悪いに変えて、お前がダメなんだろう!と思ってるところを、自分がダメなんだなに変えるわけですから。
というわけで、こういうやり方やこういう理論もあるよ、とか、
こういった変なことをやってるやつもいるよー、といった形で思っていただければなと思います。
まあ、そのうち、もっと楽なやつとか、もっと単純なやつとかを書いていけたらなと思います。
今回もお読みいただきありがとうございます
初心者と同村した時は、どう対応すれば良いの?
こんにちは。
今回は、初心者の方と、不意に同村した時に、どのような対応してあげれば良いのか?ということについて書いていきたいと思います。
皆さんは、初心者時代、どのような心持ちで人狼に参加してたでしょうか。
僕は、不安だった記憶があります。
初心者だってバレないようにしなければ、とか。
他の人の足を引っ張ることだけはしないようにしなければ、とか。
とにかく初心者に見られることが嫌だった記憶があります。だからといって、上級者に見られたいかというとそうでもなく笑。
足を引っ張りたくないけど、期待もされたくないとか、そんな感じの人でした笑。
それはおいておいて…。
初心者時代、どのような心持ちであったかは人によると思います。
ただ、大抵の人は不安を抱えていたと思うんですよね。
だって、最初の内は人にどう見られるのかが、分かりませんからね。
そんなところに、高圧的な人や威圧的な人が来たら、どうでしょうか。
めっちゃ、うざくないですか。というか、めっちゃムカつきませんか笑。
僕だったら、発言禁止用語、100個くらい使ってやると思います笑。
というわけで、高圧的で威圧的な態度は、言わずもがな、悪手だと思います。
とするなら、どんな対応が良いでしょうか。
皆さんが、初心者の時、どんな対応を人にしてもらいたかったでしょうか?
僕は、初心者だって決めつけられたくなかったので、他の人に対する扱い方と同じ扱い方をして欲しかったな、って思います。
例えるならば、こんな感じです笑。
「僕の作ってる壁、発泡スチロールで出来てるから!でも、ダイヤモンドで出来てるって思い込んでよ!」ってな、お願いを心の中で懇願してたのだと思います。
めっちゃ、強がりたかったんですよ笑。というか、格好つけたかった笑。
まあそんな願いも虚しく。発泡スチロールがダイヤモンドに見られるわけはなく、発泡スチロールとして扱われるわけです。
そうすると、ちょうーー惨めなんですよ。ついでにめっちゃ怒りたくなる笑。
まあそんな、面倒くさいような可愛いような、僕みたいな初心者は、
他の人と同じように対応してくれないと怒るからね!という気持ちを抱えているわけです。
だから僕みたいな子は、対等な対応をしてもらいたいんですよね。
こんな感じで、初心者の中でもどう扱ってもらいたいか、というのは人によりけりな部分だと思います。
だから人によって対応の仕方に正解はないかなと、僕は思ってます。
ただ、ここで記事を終えると、僕の可愛いところ(笑)を晒しただけで終わってしまうので、
どう人の抱えてる欲求を見抜けば良いの?ということについて書いて終わりたいと思いまする。
例えば、僕みたいな子が発言するときというのは、強い語尾を使った断定口調が、やけに多いとかあるんですよ。
〜だろ、とか。〜に違いない、とか。
すっごい、発言が限定的になる語尾を使うんですよね。
それが、決断な時なら良いんです。決断の時は、情報を取得選択して、判断する必要がありますから。でも常に使ってるとしたら、それはその人のニーズです。
情報を多く取得してるときというのは、様々な情報を認識するので、情報が限定的になる語尾って使いづらいんですよね。
限定的にしちゃうと、私はこの限定的な情報で、何かを認識してますよ、ということを開示することに繋がるので。
けど、そのリスクがありながらも断定口調を、多々使うということは、
私は私なりのやり方に自信を持っている、という意思表示であり、
同時にそれは、私のやり方以外の情報には関与しませんよ、という意思表示である。
そして、その関与しない部分にその人の見られたくない部分。
つまり、私のそこを見ないでね?というニーズがあるわけです。
だから、その人のやり方を尊重してあげると、喜ぶわけです。
特にこういう人達は。僕がそうだったから笑。
僕だったら、やり方を尊重してくれたら、犬のように懐きますよ笑。
もう一つ、例をあげたいと思います。
僕とはタイプが違う、「何を発言したら良いのかわからない」というタイプ。
こういうタイプは、めっちゃ不安なんですよね。
自分の1発言によって、世界の命運がかかっているのではないか?に近いくらい、感情的な負担がかかってるんだと思います。
違うタイプと書きましたが、僕もこういった経験があります笑。
多分ですけど、人によっては、「わからないなら、わからないなりにどう発言するか考えたらどう?」って言いたくなると思います。
それは、僕も言われたことがあります。でもまだめっちゃ傷つくんですよ。
いや、めちゃくちゃ面倒くさいでしょ?でも傷ついちゃうんですよね。
なぜかというと、自分なりにどう発言するか考えて、学んで、
しかも、めっちゃ時間使って、頑張ったんだけど、
頑張った結果、その考えた内容が、間違ってるような気がするし、ダメなような気がする。
だから、私は(この場でどの発言が正解か)何を発言したら分からない。
という意味合いが、行間に含まれているわけです。
めっちゃめんどくさいですよね?分かりづらいし。
でも、本人にとってはめちゃめちゃ深刻な問題なんですよね。
正解じゃない発言は、イコール、奈落の底に叩き落されるようなものですから。
だから、こういうタイプの人に対しては、
「私は貴方の発言を、理屈抜きで、ただ聞くだけで嬉しいんだよ」
という態度を取ってあげることが必要なわけです。
何故かというと、自分なりに考えた内容を開示しないということは、
その人の中で、まだその考えが何らかの基準に達してないわけです。
つまり、その考えでは、人に話す内容ではないと判断してるわけです。
だから、その考え方でも充分基準を満たしているよ、ということを教えてあげる必要があるんですよね。
でも、相手の基準は心の中にある以上、分かりませんよね。
なので、相手に対して肯定の意を伝えてあげることが必要なわけです。
ただ、何でも話して良いんだよ、だと、中々開示してくれないと思います。
何故なら、話すことに対して肯定してくれてるけど、
話す内容に対して肯定してくれるわけではない、と捉えられがちですから。
なので、貴方が話してくれるだけで、私は嬉しいんだよ、
といったように、話をすることと、聞き手が喜んでくれる、ことを、一致させてあげることが大事なんですよね。
話すだけで喜んでくれるとしたら、相当な話じゃない限り、何でも話せますよね。
だって、話すだけで喜んでることは確約できますから。
つまり、相手の中で話すことだけで、私の中の基準を満たせるんだ、と思えれば、勝手に相手の方から開示してくれるわけです。
とまあ、こんな感じですかね。
あとは、「わからない」を単純に言う人との、違いの見分け方を少し。
見分け方としては、「わからない」の前後にどんな言葉があるかどうか。
「わからない」という言葉は、私はそれを意識で感じたことも、考えたこともない、という意味合いを持ってるんです。
つまり、「わからない」という言葉は、本来、あっさりしてるんですよね。
例えるなら、風のように流れていくような感じでしょうか。
言葉が、場に留まらない。もしくは、わからないが話題にならない感じですかね。
けど、さっきのタイプの方の「わからない」の場合、自分なりに知り得ながらの「わからない」なので、どっしりしてるんですよね。
自分なりに知ってるからこそ、発言として、
「こんなに頑張ったのに」とか、「自分は精一杯やったし」とか。
わからないが、場に残るような発言が多くなるんです。
つまり、あっさりとした「わからない」だと、本当にわからないからこそ、「わからない」が問題になることはないが、
どっしりとした「わからない」だと、本当はわかってるからこそ、「わからない」が場に残りやすく、「わかる」「わからない」の間で押し問答。
ないしは、後味の悪くなる結果に着地してしまう、といった感じですかね。
まあ感覚的なことですけど、問題にしなくても良いくらいあっさりしてるか、
問題にする必要があるくらいどっしりしてるか、
で見分けてもらえたらなと思います。
今回はこんな感じです。
お読みいただきありがとうございました。
透き通った目で、目の前の相手を考察するには。
こんにちは。
今回は、感情的になった時に、どういう心持ちで相手を見ると良いのか、ということについて書きたいなと思います。
人狼ゲームをしていると、どうしても熱くなることってありますよね。
僕はしょっちゅうありました。お前ふざけんなよ、とか何度思ったかわかりません笑
時には、そんな気持ちを言葉で表現したこともあったと思います。
抑えたくても抑えられない時があるんですよね。
だから、僕はそんな短気な部分が、結構な悩みでした。
そんな悩める子羊となった僕が、どうしたかというと、冷静さを身に付けるということでした。
とにかく、相手の全てを論理的に分析して理解してやろう、という試みをしようとするわけです。正直、意味がわからないですよね笑。
でも、それくらい、感情的にはなりたくなかった、と捉えていただければなと思います。
さて。感情的になってしまう自分が嫌だと感じるときに、自分の感情とどう対応していくのか、というのは人それぞれだと思います。
僕のような、すごい大きなハードルを設ける人も居るでしょうし。
とりあえず、怒って良い場面と、怒っちゃダメな場面を仕分ける人も居るでしょう。
こうした考え方は、怒らないような自分にならないようにしよう、という試みをしてるってことなので、とても素敵な考え方だと思います。
ただ、中には、感情的にならない冷静さを身に付けるでもなく。
怒って良い場面と怒ってない場面を仕分けるでもなく。
目の前の相手と仲良くなりたい、目の前の相手の方を分かりたい。
そんな、情熱的な気持ちを持った方も中には居るのではないでしょうか。
色々と前置きが長くなってしまいました。
今回は、そんな、「お前ふざけんなよ!!」と思う相手のことも分かりたい、という変態的な情熱(笑)を持った方に向けた、内容を書けたらなと思います。
いきなりですけど、川ってどんなイメージをしますか。
僕は静かに、淀みがなく。規則的に流れてる、というのをイメージします。
何となく、同じ感覚が、ずっと続いているけど、でもそれが、何故か心地が良いみたいな感覚を、僕は感じます。
さて。少し飛躍しますが、この感覚というのを、人に当てはめるとどうなるでしょうか。
静かに淀みがなく、規則的に言葉を発しているような人。
そんな人、中々居ないですよね。特に感情的な人とは、似ても似つかない。
感情的な人の文章から感じるのは、命を帯び、生き物となった私の文脈に、別の生き物の生き方をぶつけてくるようなものですからね。
静かにはならず、対立の方向へと向かうのだと思います。
ただ、ここで、相手の方にも、相手なりの、呼吸があると捉えるとどうでしょうか?
文章は確かに感情的で荒々しいかもしれません。
でも、相手の中では、その文章は静かな川のように流れてるんです。
だって、文章が出来あがっていますからね。
相手の中の、思考パターンやその文章を書くまでにしたこと。
そうした部分をしっかりと見つめたとき、相手がその文章を書いたのは、凄く自然なことなんです。
だから、自分が感情的になりそうな時に、相手を川を見るときと、同じように見てあげると。相手の川のような部分を見ていけることに繋がると思います。
それは、この人はきっとこう思ったんだろうな。こう感じたんだろうな。等々、優しく相手の感じたことを認めてあげれる姿勢だと思います。
そんな目で相手のことを見れたとき、何となく相手のことを理解できそうな気がしませんか?
ただ、言うは易く行うは難しだと思います。
僕もこれが、いつもできるわではないです。というか、さっき思い付きました笑。
感覚的には、凄く落ち着くし柔らかな感じになるし、これ良いなぁと思って書いてみたんですよね。
けど、まあ、意識してても、常に行うのは中々難しいだろうなと。
絶対に、考えてしまうでしょうし。
まあ良ければ、参考にしていただけると幸いです。
僕も一緒に頑張ります笑。
では、今回もお読みいただきありがとうございました。