昨日今日のヒーリングで感じたこと。

 

昨日今日とヒーリングをしていて感じたこと。

 

昨日は主に脱力を通してサレンダーしていくことで感情を感じていくことができ、

今日は上と繋がりながら、楽に感情を感じていけたような気がする。

 

そして、昨日も今日も明確に感じたことは、今ここしかないという感覚。

 

深く感じていくと、段々と自分が痛みを選択した地点に立ってくる。

そうすると、そこで自分は痛みを選択したんだなっていう実感と、

それを今も自分は選択し続けてるから怖かったんだなと感じる。

 

でまた感じていくと、痛みを選択する前の愛を感じることができるようになり、

ここまでくると、全てが幻だったような、

ただ自分がストーリーを作っていただけという実感に繋がると感じた。

 

そして私を傷つけるものは、今も昔もこれからも誰も居なかった。

というような、平和な無垢さな感覚に繋がったようには思う。

とかく、平和な感じが強くて、心地よさを感じる。

 

また今日、強く感じたことなのだが、

上と繋がっているとき、自然と繋がれると、

そこから恩恵が降り注ぐ感覚があり、そこが真実のような、今まで自分が感じ作っていたものの全てが、ただの幻想だったような、

そんな感覚を感じることがあった。

 

これは、自分の全てを上に意識を注ぐことだけに集中した時に、

自分の中のイメージが明確に変わったことを感じ、

それが、何か影響しているのかなという風に感じた。

どんなことも根性や反骨心で乗り越えてきた父へ伝えたいこと。

 

1.何があっても負けたくない、と感じたかもしれない。

 

父は、父が求め欲していた報酬が、誰かに敗れて得られたなかった時、

自分の努力と力不足を責め、恨めしく思い、

絶対にその報酬を手にするためにも、

何があっても負けたくない、と感じたかもしれない。

 

そんなとき父は、あんなにも欲して努力したのに手に入らなかったことから、

俺にはもう無理かもしれないという無力感を感じ、

心が寂しさと悲しさで満たされないと感じながらも、

それでは、育てくれた人に申し訳が立たないという精神で、

ひたすら我を忘れるほどに、前に進んでいったのかもしれない。

 

どんな時でも負けん気と反骨心で乗り越え成長してきた親父。

負けたなとか、悲しいなとか感じたとしても、

親父を育てくれた人の思いを胸に、

ここまで成長して乗り越えてきたのでしょう。

 

親父が時折見せる、誰かに対しての文句や批判は、

親父の負けん気から生じるもので、

負けたと感じるときほど、ひたすらに進んでいった父だからこそ、

負けてるのにヘラヘラしてるような人が許せなかったのでしょう。

そして、僕がその批判や文句にイライラして父のことを責めたとき、

きっと、父はとても惨めな気持ちになったでしょう。

ごめんなさい、その時は僕がとても未熟でした。

 

父はここまで僕のことを育ててくれましたが、

その中でたくさん厳しいし辛いなと感じることがありました。

でも今思うのは、それら全部は、父が乗り越えてきた道とやり方を、

僕に全て伝え通したくれていたのだなと理解しています。

僕が負けた時、とかく責められたのも、

父は負けた時に、報酬が手に入らないのを誰よりも知っていだからでしょう。

 

あの僕に対しての怒りは、父が僕に向けて、

あの報酬を息子に与えてやりたかった、そんな愛情だったと理解しています。

本当にありがとう。ここまで一心に愛情を注いでくれた父を尊敬します。

 

 

2.俺はどうしてこんなにダメなんだ、と感じていたかもしれない。

 

他の人は課せられたことを簡単にでき、笑顔と喜びを振りまいているのに、

自分はそれが簡単にできなくて、落ち込み、

簡単にできる子のように、誰かに喜びや笑顔を振りまけないとき、

親父は、どうしてこんなにダメなんだ、と感じていたかもしれない。

 

親父はそんなとき、喜びと笑顔を振りまく子のような、

優しくて暖かい人の繋がりというのを、

そこに自分は居ないかのようなそんな、孤独な目でしか見れないことに、

自分の居場所はどこにもないような寂しさと悲しさを覚え、

いつしか親父の中の、繋がりと暖かさまた優しさを求める心は、

閉じてしまったのかもしれない。

 

 

いつも人と繋がるための努力をしていた親父。

親父はよく自分が育てた部下のことを話していましたね。

親父の教えで部下が育ったとき、また部下が親父の元に着いたとき、

親父はどれ程嬉しかったのだろうなと、今なら良く分かります。

きっと、普段語ること以上に、自分の中で試行錯誤をしながら、教えていたのでしょう。

 

そして、よく親父が、部下に怖がられるという話や、

僕の反応に敏感に反応している部分を見ると、

その時に悲しさや寂しさに触れていたのかなと感じることもありました。

しかし、親父はそんな気持ちに触れながらも人と繋がることを諦めなかったのでしょう。

 

僕や母や、また部下の人たちに贈る言葉や贈る品などを変えている姿から、

親父が人と繋がるために色々な努力をしていたことが伝わります。

本当にそんな姿を見せてくれてありがとう。尊敬しています。

 

 

3.もうやってらんないよ、と感じたかもしれない。

 

父は、誰よりも認めて欲しいと感じる親に、何をやっても何をしても

認めてもらえることはなく、

自分が何をやっても父の心を動かせないことから無意味感を感じ、

もうやってらんないよ、と感じたかもしれない。

 

親父はそんなとき、自分の中の心が確かに動かないことを感じ、

その心が何も感じないような、何も動かないような、

そんな、誰とも心を通わずことのできないような孤独感と絶望感、

そして、生きていることすら無意味に感じるような、

全てが失われたようなそんな殺伐とした世界を感じたのかもしれない。

 

いつも何かと戦っていた親父。

きっと、こちらの想像のつかないところで、

ずっとこんな殺伐とした世界で色々な感情を感じながら生きてきたのでしょう。

今ならよく分かります。

親父が恐れているとき、悩んでいるとき、

大体は、この世界を現実にならないように何とかしようとしてたのだなと。

 

そんな親父が僕が不登校、引きこもりとなったとき、

どれ程の苦しみと辛さを感じたでしょうか。

普段から笑顔や楽しそうな姿を見せることが少ない親父にとっては、

それを感じさせてくれるような息子がそんな風になり、

とてもショックで、とても絶望を感じたように思います。

 

そんな中でも、同じような生活を続けていったこと、

本当に親父の強さを感じます。ありがとう。

そして、親父にとって、心を動かしてくれたような息子と妻の存在は、

とても大きなものだったんじゃないかなと思います。

この痛みを通して、それをよく理解しますし、

同時に、親父の大きな愛とそして僕が親父に貢献し、

たくさんの愛を僕の姿で与えられていたことに気付きました。

 

本当にありがとう。

僕のこの明るさや調子の良さはきっと親父から貰えたものです。

いつまでも尊敬しています。

全力で生きてきた母に伝えたいこと。

 

1.もうどうにもならない、と感じたかもしれない。

 

親が喧嘩をし、私の愛している母親が父親に虐げられ、責められ、

そんな状況を見ながら、悲痛な思いやどうにもならない思いを感じたとき、

自分の力ではどうにもすることができず、止める事もできず、

助けも来ないことから、もうどうにもならない、と諦めたかもしれない。

 

そんなとき母は、自分の愛する人は、不幸になるし、悲惨な目に合う。

そんな風に感じ、深い悲しみと絶望と、

そんな思いから、自分の愛というものが、誰かを不幸にし汚すように思えたのかもしれない。

 

自分の愛に自信が持てない中、またそんな痛みを持ちながらも生きてきた母。

必死に生きていく中で、様々な困難や挫折を体験したかもしれないが、

その痛みを持ちながら感じた、それぞれの体験はどれほどまでに過酷だったのか。

それを思うと胸が痛む。

けど、それ以上に、今日ここまで生きてきたこと。

家庭を持ち、子供を持ち、働き続けてきたことがどれだけ凄いことか。

この痛みを通すと、それが深く理解できる。

ここまで全力で生きてきた母に感謝すると共に、感謝したい。ありがとう。

 

 

2.誰か助けて欲しい、と感じたかもしれない。

 

一人、母の抱えた痛みを感じ、母の姿と言葉を通して伝わる、

その痛みを胸で感じるたびに、その痛みの強さと大きさに絶望し、

絶望するたびに、その痛みを自分が何とかする手段を持ち合わせてないことに気付き、誰か助けて欲しい、と感じたかもしれない。  

 

母はそんなとき、

その絶望の深さは、誰からも愛されず、誰からも見放されるという思いに変わり、 

そんな思いから、その痛みを隠すよう、

その痛みを少しでも感じさせるようなものを避け、弾き、

その痛みにもう触れないような、強い生き方をしようと思ったのかもしれない。

 

そんな痛みを抱えながらも、仕事と子育てと必死にしてきた母。

そんな母が息子が、引きこもりになり不登校になり、

他の人とは違う人生を歩んだとき、一体どれ程の痛みを感じただろうか。

そう思うと、母が僕のことを責めた気持ちも分かります。

それでも必死に支え、献身し、度々ブレながらでも、

応援し信じてくれた母は本当に凄いと思います。ありがとう。尊敬しています。

 

 

3.足を引っ張らないで欲しい、と感じたかもしれない。

 

母は、自分の心と痛みを見せてくる母親の姿を見る度に、痛みが誘発され、

自分の人生が邪魔されているような、

自分が今から進むところを批判、非難されているように感じ、

そんなとき、足を引っ張らないで欲しい、と感じたかもしれない。

 

そんなとき母は、自分が自分の生きたい人生を生きることを望まれてないように感じ、深い悲しみと孤独を感じたかもしれない。

そしてその望まれてないような悲しみは、

世界中のどんな人からも非難批判されてるような恐れに変わり、

遂には、私のそんな姿を望んでいる人はいないと、絶望のまま諦めたかもしれない。

 

どこかで自分の望むような人生を生きることを諦めてきた母。

僕が無謀な現実的ではない夢を掲げた時、母はどれ程の痛みを感じたでしょう。

今なら、母が僕を制止し、強く責めて文句を言った理由が分かります。

 

また、僕が母のことを足手まとい、弱い、などという暴言を通して、

母を人間扱いしなかったとき、母はどれ程の痛みを感じたでしょうか。

しかし、母はそんな僕の言葉を根に持つことよりも、

僕が引きこもって一人であることの方を気にすること、

またそこで痛みを感じることの方を優先させてくれた。

 

僕が対等に扱わなくても、僕のことを捨てるでも、

僕に対する愛情を断ち切るでもなく、

何を言ってもしても、変わらず愛情を注いでくれた母を心の底から尊敬します。

本当に母が母親でよかった。感謝しています。ありがとう。

 

 

4.私は愛されない、と感じているのかもしれない。

 

母は、母の好きなこと、楽しいことよりも、

母にとっての苦しいこと、悲しいことを優先させられた体験を通して、

私の好きなこと、楽しいことは誰にも望まれてないように感じ、

私は愛されていない、と感じたかもしれない。

 

母はそんなとき、自分の真ん中から自分が抜けてしまったような喪失感を感じ、

自分の源泉から喜びや愛が流れなくなり、

その流れは、誰と居ても満たされないような、

誰と居ても愛されてないような、

そんな得体の知れない不安に変わったのかもしれない。

 

母は自分が自分の好きなこと、楽しいことをして良いのか、

そんな答えを求めながら、ここまで人生を歩いてきたのかもしれません。

母にとって、息子である僕が、辛くて苦しい姿を見せているとき、

そのとき、母にとっては地獄のような時間だったでしょう。

この痛みを理解すると、それが良く分かります。

 

また、僕が子供の頃、母は父にたくさん責められていましたが、

そのとき、どれ程の痛みを感じ続けたのでしょうか。

この痛みの強さを感じると、子供に泣きつき助けを求めたのも理解できます。

 

そして、それでも母が変わらず、僕への愛情を離婚しない、食事を提供する、

などといった形で示してくれたのは、母なりの親としての責任感であり、

それは母の強さだったと理解します。

きっと、そんな形でしか愛を提供できないことに、

何度も胸を痛め、罪悪感を感じ、自分を母親失格だと罵倒したでしょう。

 

ただ僕は、これだけの苦しみ、痛みを感じながらも、

僕に変わらず愛を注いでくれた母のことを何よりも尊敬しています。

そして何よりも最高の母親です。ありがとう。感謝しています。

耐え抜いてきた親父に伝えたいこと。

 

1.誰も俺のことを見ない、と感じたかもしれない。

 

親父は、一人、苦しさ。寂しさ。孤独。そんな気持ちを感じ、

感じながらも、前に進み続けていたとき、

その辛い気持ちの数々を乗り越えたような姿を、ずっと誰かに見せているのに、

誰も親父のことを見てくれず、誰も何も伝えてくれないとしたら、

誰も俺のことを見ない、と感じたかもしれない。

 

そんなとき親父は、この世界に一人、自分だけのルールで、

前に進み乗り越えているような気がして、

自分は一人ぼっちのような、誰からも認められていないような、

そんな孤独感と生きていることへの無意味さを感じたかもしれない。

 

親父はそんな中でも、同じような痛みを抱え、戦い抜いている場を主戦場にし、

今日まで己を磨き鍛え上げ、ここまで成長してきた。それが本当にすげぇ。

痛みの中にはまっている時は、どれほどの苦しみと寂しさが襲ったか。

その中でも前に進み続け、大きなことを成した親父のことを尊敬する。

 

 

2.俺にできることがあるのだろうか、と感じていたのかもしれない。

 

親父は、目の前に痛みや傷を抱えた人が現れた時のことを思い浮かべては、

こんな自分がその人の痛みや傷を何とかできるのだろうか、

何とか俺が上手く、その人のことを救う対応ができるのだろうかと感じたとき、

そんな不安や恐れから、俺にできることはあるのだろうか、と感じたかもしれない。

 

親父はそんなとき、本来、助け救わなければいけない存在を前に、

何もできない自分を感じる度に、無力感や罪悪感を強く感じ、

そんな自分が誰かと一緒にいたら、その人を不幸にさせてしまう、

というような、自分が誰かの迷惑や毒になってしまう、と感じていたかもしれない。

 

親父はそう感じながらも、ここまで毎日のように、

誰かが危険な目に合わないようにという思いで、誰よりも知識と理論を身に付け、

危険な仕事で、今まで安全と安心というのを親父の力で作ってきた。

そんな親父が本当にすげぇなぁ。

親父が、ここまで誰かや何かのことを思って、

誰かの命のために己のことを磨き上げてきた、その強さと責任感を尊敬する。

 

 

3.俺の生き方と人生に意味はあったのか、と感じていたのかもしれない。

 

親父は、多くの人を育て、多くの仕事を取り、こなしたととしても、

親父が本当に目指していた最高のものが手に入らなかったことから、

親父自身が感じたかった喜びや幸せがもたらされたとは感じられず、

そんなとき、俺の生き方と人生に意味はあったのか、と感じたかもしれない。

 

そんなとき親父は、妻や息子のことを考えると、

これ以上はそれを手にするために無理することはできないと感じ、

本当に手にしたいことを諦め、このまま平凡のまま人生を終えよう。

これが、俺の人生だから後世にその思いを託そう、と思ったかもしれない。

 

自分の生き方と人生に意味を問うたとき、どれほどの絶望と虚無感を感じただろうか。そして、自分が手にしたかったものは後世に託そうと決断したとき、

どれほどの悲しさと寂しさが親父の心を埋め尽くしただろうか。

そんな気持ちになってまで、ずっと仕事をし続け、生き抜いてきた親父はすごい。

そして、そんな親父の素晴らしさを尊敬します。

 

 

4.何でそんなに責めるんだよ、と感じていたかもしれない。

 

親父は、親父のイメージした作品を作ったときや、

親父のイメージ通りに仕事をした時に、

手順ややり方。出来上がった作品と仕事の不出来さを責められ、

自分が全力を尽くして、一生懸命にやっただけに、

何でそんなに責めるんだよ、と感じたかもしれない。

 

そんなとき親父は、自分の可能性と自分の才能までを否定されたように感じ、

それが自分の将来や未来がないような感じがしたことから、

もうこいつのために、何もやってやらんと決断したのかもしれない。

親父は、そんなとき、深い悲しみや絶望と失望を感じたのかもしれない。

 

親父は、そんなどうしようもないような気分の中から、一人努力をし、

彼らを見返すくらいまで実力をつけて、のしあがってきたことが本当に凄い。

俺は親父の、そんな反骨心をただただ尊敬する。

乗り越えてきた親父へ伝えたいこと。

 

 

1.超えられない、という感覚。

 

親父が、自分の出した作品よりも、上回るような作品を父親に出された時、

その作品がどうやって出てきたのか理解できなくて、

そして、自慢のような言葉を言われた時に、

超えられない、という風に感じたのかもしれない。

 

そんな時、親父は、俺にはこんな作品を出すことはできないんだ、

という諦めの感じと共に、もうやらないという決断をするくらい、

自分の作品と才能に価値を感じられなくなったのかもしれない。

 

ただそれでも乗り越えてきた、親父がすげぇよ。

超えられないと感じた時に、諦めやらないと一度は決断したはずなのに、

ここまでのしあがってきて、一体どれだけの努力をしたんだよ。

本当にすげぇなぁ。その努力と諦めない根性を何よりも尊敬する。

 

 

2.俺には何もできない、という感覚。

 

親父が散々、親に怒られて、叱られて、

何やっても叱られて怒られるという風に感じたとき。

良かれと思ってやったことも、愛情を持ってやったことも、

全て否定されたとき、親父は、俺には何もできない、と感じたかもしれない。

 

そんなとき親父は、何をやっても無駄だって感じる気持ちと同時に、

親に対して怒りや憎しみを感じ、もう誰に対しても何もしてやるかもんか、

と決意するほどに、深い悲しみと寂しさというのを強く感じたのかもしれない。

 

そんな気持ちを感じながらも、親を支え、親のために奉仕をした、

親父が本当にすげぇ。

そのとき、どれだけの葛藤があり、どれだけの苦しみがあったか。

それでも、なお、親のためを思って行動できる親父がすごいなぁ。

その選択と決断と、親父の愛を何よりも尊敬する。

 

 

3.俺は誰の役にも立たない、と感じたかもしれない。

 

親父が、いじめられて、誰かに意地悪なことを言われたりしたとき、

自分が今まで自信を持っていたことの全てに自信が持てなくなり、

俺のやることの全ては、誰の役にも立たないんだ、と感じたかもしれない。

 

そんなとき親父は、自分が不甲斐なくて不甲斐なくて仕方がなくなり、

今までの自分の行いの全てが意味がないように感じて、

もう誰とも会いたくない、何もしたくない、そんな気持ちになったかもしれない。

 

それだけの気持ちになりながらも、やられたらやり返すという精神で、

戦い乗り越え、ここまで様々なものを身に付けてきた親父がすげぇよ。

相当気持ち的に落ちたはずなのに、そこから人生を前進させて、

誰かを指揮し教える立場にまでなった親父のことを心の底から尊敬する。

 

 

4.俺だってこうしたい、という風に感じたかもしれない。

 

親父が、自分の楽しい未来を想像し、語った時に、

それを親や応援して欲しいと感じていた人達に否定されたとしたら、

自分にはやる資格がないのか、という深い悲しみと落ち込みと共に、

俺だってこうしたい、という風に感じたのかもしれない。

 

そんなとき親父は、自分の一番したいことを応援してくれない親に対して、

許せないという怒りを強く感じたかもしれない。

そして自分の人生は生きていく意味がないような、絶望を感じたかもしれない。

 

親父はそんな気持ちになりながらも、今日ここまで生きてきて、

仕事もし続け、子供も育ててきたことが何よりもすげぇよ。

そんだけの気持ちになりながらも、

前に進み続けてきた親父を何よりも尊敬する。

 

 

5.何をやっても無駄なのかもしれない、と感じたかもしれない。

 

親父が、何かが手に入ると期待して、努力や勉強をしていた時に、

誰かがそれを無意味なような言葉で、

期待したものは手に入らないと、投げかけることをしてきたとしたら、

何をやっても無駄なのかもしれない、と感じたかもしれない。

 

親父はそんな時、自分の将来や自分の成し遂げたいことを否定されたように感じ、

誰からも自分は認めてもらえないし愛されないからこそ、

もう何もやりたくないし、何やっても仕方がない、と感じたかもしれない。

 

そんな気持ちと戦いながら、ここまで成長を遂げてきた親父が本当にすげぇよ。

時には、やめたくなることもあっただろうし、

道に迷うことも、意味を感じなくなることも何度もあったはず。

でもそれでも諦めずに、ここまでやり遂げてきた親父を俺は尊敬するよ。

誰かに暴力を振るったり、誰かの首を絞めていた貴方へ。

 

 

1.もう死にたい、と感じていたのかもしれない。

 

貴方は、一人耐えきれない量の苦しい感情を感じ、

それでもなお止まない暴力に、自分の将来はないことを感じ、

もう死にたい、と深い悲しみや絶望を感じたのかもしれない。

 

貴方はそんなとき、自分の人生には未来がないという深い悲しみと共に、

お前に俺の人生は奪われた、というような激しい怒りを感じたかもしれない。

また、光がない、どん底の闇の感覚を感じるようになったかもしれない。

 

だから今日、貴方に僕が、

貴方にはそこから立ち上がる力があり、

貴方はその体験を学びに変えて、

幸せを手にしていくことができる、という言葉を贈りたい。

 

そして、貴方のその、自分の欲しい何かを求めて、

前に進んでいけるその貴方の力を僕は何よりも信じたい。

貴方なら、幸せと成功を手にすると信じています。

 

 

2.俺は一人だ、と感じていたのかもしれない。

 

貴方は、貴方以外の誰も体験していない酷い体験をし、

貴方はそこで、貴方しか感じない酷い苦しみと痛みを感じ、

そんな痛みを誰にも打ち明けられないとき、

俺は一人だ、と感じていたのかもしれない。

 

貴方はそんなとき、一人、将来のこと、これからのことを考え、

今の状況がこれからも続くような気がして、貴方は人生に絶望したかもしれない。

そして、貴方はこの世界に一人だと感じ、

誰とも繋がることができないような、深い悲しみと孤独を感じたのかもしれない。

 

だから今日、僕が貴方に、

貴方はどんな時でも一人じゃないと、

俺が貴方のことを応援するし、貴方が幸せで希望に満ち溢れた人生を歩むと信じる。

そう、貴方に伝えたい。

 

そして、貴方のその人と繋がることのできる才能を信じ続けたい。

 

 

3.もう自分の人生は終わった、と感じていたのかもしれない。

 

貴方は、誰からも目を付けられているように感じたとき。

また、貴方のことを多くの人が傷つけたとき、貴方は全ての人が、何かの拍子に自分を傷つけてくるように感じ、もう自分の人生は終わった、と感じたかもしれない。

 

貴方はそんなとき、貴方の周りには誰も味方が居ないという風に感じ、

もう苦しみたくない、もうこんな目にあいたくない、という思いから、

貴方は、一生、人から離れて引きこもって生きていくことを決意したかもしれない。

 

だから今日、僕は貴方に、

貴方のことを僕は傷つけない。僕は貴方の味方だし、

貴方の痛みに寄り添いたい人はたくさんいると、貴方に伝えたい。

 

そして、貴方の誰かと繋がりたいという本当の気持ちと意欲を信じたい。

 

 

4.俺は自分の命も自分で守ることができないのか、と感じたかもしれない。

 

貴方は、自分の命の危険を感じるようなことを何度もされているのに、

そこに自分がいつも抗うことができないとき。

そして、いつも命の危険を感じているのに、一言も何も言えないとき。

貴方は、俺は自分の命も自分で守ることができないのか、と感じたかもしれない。

 

そんなとき貴方は、自分のことを酷く弱い人間だと感じ、

自分のことをとても責め、もう自分にこの先、生きていく術はないから、

苦しまずに、死んだ方が良いかもしれない。

そんな深い深い、孤独と虚無感を感じ、貴方は一人ぼっちだったかもしれない。

 

だから今日は僕が貴方に、

貴方は貴方が生きたいように人生を築いていくことができると信頼する。

そして、貴方は、自分の人生と命を大切にする力があるから、

貴方が幸せになることを僕が応援する。

誰かを怒り、否定し、責めてきた貴方へ。

 

1.俺はそれがしたいんじゃない、と感じたかもしれない。

 

貴方は、誰かにやり方を押し付けられたり、下手くそと責められたとき、

貴方はそれを、自分がやりたくないことをやらされてるように感じ、

俺はそれがしたいんじゃない、と感じたのかもしない。

 

貴方はそんなとき、自分は望んでないことを言われたことで、深い悲しみを感じ、

でも納得してしまう自分と、納得したくない自分とで深く葛藤したかもしれない。

また貴方は、そんな状況に対して、強い怒りを感じていたのかもしれない。

 

だから今日はこれを見ている貴方に僕が、

貴方は貴方の望むことを手にすることができるし、

貴方はどんな状況でも貴方の望むように人生を切り開いていける、

という言葉を贈ります。

そして、貴方のその、状況に対して怒りを感じれるほどの貴方の思いの強さが、

必ず貴方の喜びと貴方の幸せに繋がると、僕が信じます。

 

 

2.もうやめてほしい、と感じたかもしれない。

 

貴方は、貴方の望むものに向かって努力や鍛錬を続けている時に、 

貴方の言われたくない言葉を言われたり、貴方の傷つく言葉を言われたとしたら、

もうやめてほしい、と感じたのかもしれない。

 

貴方はそんなとき、貴方の本当の思いと望みが誰にも伝わらないことに、

泣きたくなるほどの深い悲しみを感じるかもしれない。

また、貴方は貴方の望みがどんなに努力しても頑張っても、

手に入らないような気がして、全てが無駄なような悲しい気持ちになるかもしれない。

 

だから今日はこれを見ている貴方に、

貴方の本当の思いと望みは、僕にちゃんと伝わっている。

貴方の努力と鍛錬は、絶対に無駄にならないし、

貴方にとっての本当の幸せと喜びに繋がる、という言葉を贈りたい。

 

そして、貴方のその燃えるような情熱の力を僕は信じたい。

貴方はその情熱で、貴方自身の夢と望みを手にすることができると僕が信じる。

 

 

3.何をやっても無理なんだ、と感じたかもしれない。

 

貴方は、何度努力をし何度繰り返したとしても上手くいかず、

そんな時に、貴方は強く否定され、無理だと言われ希望を絶たれたら、

貴方は自分の力の無さを否定すると共に、

何もやっても無理なんだ、と感じるかもしれない。

 

貴方はそんなとき、自分と他の人を比べて、

自分には才能や実力がないんだと自分のことを責め、深い悲しみを感じ、

自分の目指したところを浮かべては、

それを遠いもののような、夢のような形でイメージし、

もうそれは手に入らないんだと、貴方は悲しみと共に諦めたかもしれない。

 

だから今日、これを見ている貴方に僕が、

貴方の努力は絶対に無駄にならないと、俺が信じるし、

貴方の歩んでいく道は、俺が応援するという言葉を贈りたい。

 

そして、貴方の諦めないという力と、夢に向かって続けることのできる力が、

貴方の望みを手にすることに繋がると、僕が信じる。

 

 

4.またこんなことを言われるのか、と感じたかもしれない。

 

貴方は、自分が夢を目指し歩みを進めるたびに、

貴方の足を引っ張るような言葉で否定や批判をされた時に、

悲しみと諦めと絶望な気持ちを感じると共に、

またこんなことを言われるのか、と感じたかもしれない。

 

貴方はそんなとき、自分が幸せや喜びを手にすることができないことに、

深い悲しみを感じ、自分は手にしてはいけない運命なのかもしれないと、

自分に対して、言いたくないような言葉を言いたい気持ちになったかもしれない。

 

だから今日、僕が貴方に、

貴方が、かつて描いたその夢は必ず叶うと伝えたい。

 

そして、その貴方の思いの強さを僕が信じたい。