素黒、素黄だからこそ言えること。

素黒や素黄と言われる表現があります。

いつから生まれたのか定かではありませんが、相手のことを責める時に、多く用いられるものだと感じています。

時には、場を和ませる目的で、そのような言葉を用いる時もあるかもしれませんが、それは今回は置いておきます。


話を戻しますね。

多くは、素黒や素黄という言葉を誰かが発する時というのは、相手の行動を責める時に使われたり。相手が村人と思えなかったときに使われたりすると思います。

分かりづらいからもっとわかりやすい動きをしろ。そんな要求をどこかで感じてしまう寂しい言葉なのかもしれません。


僕も素黒と見なされたことはあります。

別に怪しい行動をしたかったわけではないです。しかし、そういう評価を頂いてしまう。感じたままに話してしまうというのが、一つそう見られた要因かもしれません。


なので、感じたままに話すということを一時期やめました。少し、頭の中で発言を整理すしてから発言するようにしたんです。

そしたら、素黒と言われることは無くなっていた気がします。

少しホッとしたのを覚えています。


人狼をしていた頃の僕のスタイルは、昔とは違い、分析を中心にしています。

感覚のままに話してしまう癖が抜けているわけではないので、感覚で感じたことを分析して言葉にするようにしています。

時間はかかりますが、僕の短所を考えると、分析というのは、短所を長所に変えてくれたものだと感じています。


素黒や素黄と言われる理由は様々かもしれません。そして、多く素黄や素黒というものは短所に捉えられると思います。

でも、それは短所でないということです。

その短所を補ってくれる、何かを見つけれれば短所を軸にして、長所にできるはずです。


僕の分析力も、きっと素黒と見なされた短所がなければ、僕の武器にはならなかったと思います。


なので、僕は素黄や素黒は一つの限界を表していると同時に、別の長所をもたらしてくれる言葉だと感じています。


素黒と素黄のケースごとに、何があれば長所に変わるのか、というのを書けたら良いんですけどね。ちょっと、今はハードルが高そうです。いつか書けたらなと思います。


では今回はこの辺で。

今回もお読みいただきありがとうございました!