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人狼を楽しもう。

汝人狼也で五月雨キリトという名前でやっていました。今は一応引退という形です。復帰時期は未定です。

戦術論を多く語る人はどう見抜けば良いの?

こんばんは。まだまだ寒い時期が続きますね。皆さんは、いかがお過ごしでしょうか。僕は布団から抜け出せない日々が続いております。寒いと中々起きる気にもなれません。布団の中は暖かくてリラックスできますからね。

 

まあそれは良いとして。今回は、戦術論を多く語る人物を見抜くにはどうしたら良いの?ということに関して、書かせていただきたいと思います。

 

まず最初に質問させてください。子供って理屈っぽく考えるでしょうか。

恐らく考えないと思います。あー道端に花が咲いてるーとか。仮面ライダーかっこいいーとかとか。好奇心に満ちていて、楽しそうにしてるのが子供だと思います。

僕は道端に咲く花に興味が惹かれるんだ。道端にぽつんと誰の力も借りずに生きている、たくましさが好きなんだ。でも家庭に咲いてる花は嫌いなんだ。あれは人の力を借りて生きすぎだよ。枯れる未来を理屈で断ち切って咲かす花に、僕はお花の本来の美しさは感じないかな。とか言われたら、その子の深淵に子供ではない知性を強く感じてしまうでしょう。一体どんな人生を生きてきたの!?って僕だったら言いたくなってしまいそうです。

 

まあ大抵の子供はうんちを見てうんちうんちと喜んだり、単純に興味が惹かれるものに惹かれて幼少期を探していくでしょう。

しかし、子供も年齢を重ねるにつれ、ある障害が生まれてきます。それは親という存在です。ゲームをやりたい!時間を守りなさい!こんな会話が、時が経つにつれて増えてきそうです。本当に、憂いものです。今までは自由にやらせてくれたはずなのに。こんなに身勝手なことがあるでしょうか。子供からすれば、人権の侵害です!子供の待遇の見直しを求めます!自分のような境遇の子供を集め、親と徹底的に裁判で戦います!そんな気分でしょう…。

 

しかし子供って本当に良い子で賢いですよね。ゲームが出来ないなら、ゲームが出来る抜け口を探そうとするのですよ。親の言うことを聞いたり。親の良い子になって、ゲームをする時間を増やそうとしたり。子供は心のままに動くことを制限されたというのに、必死に戦います。ゲームをするため!ゲームをする時間を増やすため!まさに孤軍奮闘。一人で親という鬼と戦い、自らの道を時間をかけて切り開いていくのです。これが恋愛ゲームだったらいくつフラグをつくへるでしょうか…。

 

まあそんなかんやで、子は障害に屈しず道を探すわけです。

これは人狼にも言えるのでないでしょうか。昨今の汝人狼也においては、戦術論に対するある程度の理解が求められます。知らない、分からない、人として普通のことが許されない状態に陥ってるのです。知らず分からず、そのような気質を文章に込めたものは叩かれ、責められます。そしたらどうなるでしょう。人狼が好きでも楽しくても、まずは戦術論に対する理解が出来ないと、楽しむことすらできないというわけです。

 

としたら、好きなことをやるためには戦術論を身に付けるしかないですよね。理論で自らを岩のように硬いもので覆い隠すしかないですよね。そうしなきゃ、責められてしまいます。しかし、岩で隠した体はしなやかさを持ち合わせることはあるでしょうか。元々裸であったために攻撃され岩で隠したのです。硬い岩が体にまとわりつくうちは、自由に動けないはずです。要するに戦術論から離れられないはずです。だって、戦術論を外すことは裸になるに等しいですからね。

 

その姿は別のもので例えれば、化粧のようなものです。すっぴんを受け入れてもらえない中で、一体誰がすっぴんで生きていくでしょうか。すっぴんで生きていくには、すっぴんでも生きて良いと思える下地が必要になると思います。それは岩で固めず裸で生きても責める人がいないようなそんな世界だと思います。

 

まあそんな感じで、戦術論を語る人にはどういう状態が起きているのか?ということについて書いてみました。まあこうやって書いてる僕も、戦術論からは中々離れられなかったんですけどね。何か戦術論を書かないと妙な疎外感を感じますし。戦術論を書いてないと責められるような気がしてしまったりとかとか。ただ僕の場合は、初日に考察を書くことで褒めてもらえたこと。僕以外にも初日に考察を中心にする人が居たこと。この二点に救われたかなぁと感じてます。別に戦術論を無理に書かなくても良いかなーっていう風に思えたんですよね。勿論、戦術論を書くことが悪いわけではないですよ。あくまで戦術論と考察のバランスが取れた方が良いよねというお話です。

 

あとはそうだ。本題を書くのを忘れていました。はっきり言って戦術論を多用する人を見抜くのは難しいでしょう。大抵、そういう方は理論が完璧に近いです。反論する余地のない文章ができあがってることが多いのです。

 

そういう方は自分の失敗をよく知っています。知っているので、反論できないような文章を作り上げることができるのです。また時には責められるポイントを軸にして、中身だけを入れ替えることができる器用な方もいるはずです。でも、それらの文章は彼らの失敗からの努力により生まれているものです。彼らが知らないところを突けば、彼らの理論の穴が見えてくるかもしれません。 

 

なので、彼らの文章を理解し過ぎないこともポイントだと思います。

彼らの文章には穴が少ないです。なので理解できないポイントを探すやり方では、きっと彼らのことは白く見えてしまうでしょう。 

 

もうちょっと具体的に書ければ良いのですが、もう結構な量を書いたので今回はこの辺で。今回もお読みいただきありがとうございました。