見知らぬ地点に立った時ほど、戦術論。

こんにちは。

今回は、戦術論の必要性と意味について書いていきたいと思います。

 

僕は、現役の時、戦術論なんていらないと思ってました。

相手のことを理解できる目さえあれば、人外は当てれるのだから、他の何かはいらないと思ってました。だから、かなり苦労しました。

 

というものの、大抵の人は、最初に戦術論や進行案を覚えます。

自分なりの理論を身に付けていくので、身に付けた理論を武器に戦います。

すると、理論を身に付けてない僕は、他の人の理論を、理解することができないんですね。だから、戦術論や進行案を主体に戦う人達を考察することに、いつも不安を感じてました。

 

これでちゃんと理解できてるのかな?

ちゃんとこの人の目でこの人の理論を読めてるのかな?

等々と、戦術論や進行案を主体に戦ったことのない自分は、凄く不安を感じてたんですよね。

 

すると、案の定、騙されることが多かったです。

戦術論を主体に戦っている人と自分とでは、取得してる情報に明らかに隔たりがあり。取得してる情報に隔たりがあると、情報量も違うので、判断点も異なることになり。結果的に、正解に辿りつくための情報を汲み取れず、掌で転がされて、騙され負けてしまう、ということが多かったように思います。

 

というわけで、騙されずに勝つためにも。強い人外を見抜くためにも。戦術論や進行案の理解というのは、欠かせないなと考えています。

 

 

さて。そもそもで戦術論や進行案を主体にしている人達と、考察を主体にしている人とではどう世界が見えてるんでしょうか。

 

僕が思うに、戦術論を主体にしている人達というのは、"どこに負けのリスクがあるか"という考え方を主体にして、物事を見てるように感じてます。

 

例えば、村人の数よりも人外の数が上回った時に、村の負けとなる。

というルールを知らない人は、今何人、人外が吊れているか?ということについて考えもしないと思います。

ということは、初日に確定白を占わないようにしょう、という発想も思い浮かばないと思います。占いと吊りを使った後に、どのような結果が訪れるのか、というのを知らないですからね。

 

逆に考察を主体にしている人の場合。主に僕の場合ですが、ある程度のルールや戦術論は知ってますが、知っていてもほとんどガン無視です。

こいつが人外だ!じゃあ吊れ!!そんな単純な思考を軸にしています笑。

 

勿論、そんな意見が通るのは、考察量や内容に圧倒されるような場のみだと思うので、どう説得するかというのを考えていくことにもなります。

ただまあ、戦術論や進行案が殆ど理解できないので、説得の仕様がないんですけどね。単体派と盤面派とでは異国語を話してるようなものですから。

 

 

とすると、結局戦術論や進行案の理解って、どういうプレースタイルになっていくにせよ、必要不可欠なんですよね。

特にこのゲームは、説得することが最終段階に待っています。

 

中には、説得の段階を飛び越えて、雰囲気や弁の強さで無理くり説得に持っていく。という荒技もありますが、それは感情や雰囲気の部分での駆け引きなので、上手くいかなくなることも多いと思います。

 

 

ということで、今回はいつも以上に抽象的ですが、戦術論を身につける必要性と戦術論の意味について、軽く書かせていただきました。

 

今回もお読みいただきありがとうございました。