初心者と同村した時は、どう対応すれば良いの?
こんにちは。
今回は、初心者の方と、不意に同村した時に、どのような対応してあげれば良いのか?ということについて書いていきたいと思います。
皆さんは、初心者時代、どのような心持ちで人狼に参加してたでしょうか。
僕は、不安だった記憶があります。
初心者だってバレないようにしなければ、とか。
他の人の足を引っ張ることだけはしないようにしなければ、とか。
とにかく初心者に見られることが嫌だった記憶があります。だからといって、上級者に見られたいかというとそうでもなく笑。
足を引っ張りたくないけど、期待もされたくないとか、そんな感じの人でした笑。
それはおいておいて…。
初心者時代、どのような心持ちであったかは人によると思います。
ただ、大抵の人は不安を抱えていたと思うんですよね。
だって、最初の内は人にどう見られるのかが、分かりませんからね。
そんなところに、高圧的な人や威圧的な人が来たら、どうでしょうか。
めっちゃ、うざくないですか。というか、めっちゃムカつきませんか笑。
僕だったら、発言禁止用語、100個くらい使ってやると思います笑。
というわけで、高圧的で威圧的な態度は、言わずもがな、悪手だと思います。
とするなら、どんな対応が良いでしょうか。
皆さんが、初心者の時、どんな対応を人にしてもらいたかったでしょうか?
僕は、初心者だって決めつけられたくなかったので、他の人に対する扱い方と同じ扱い方をして欲しかったな、って思います。
例えるならば、こんな感じです笑。
「僕の作ってる壁、発泡スチロールで出来てるから!でも、ダイヤモンドで出来てるって思い込んでよ!」ってな、お願いを心の中で懇願してたのだと思います。
めっちゃ、強がりたかったんですよ笑。というか、格好つけたかった笑。
まあそんな願いも虚しく。発泡スチロールがダイヤモンドに見られるわけはなく、発泡スチロールとして扱われるわけです。
そうすると、ちょうーー惨めなんですよ。ついでにめっちゃ怒りたくなる笑。
まあそんな、面倒くさいような可愛いような、僕みたいな初心者は、
他の人と同じように対応してくれないと怒るからね!という気持ちを抱えているわけです。
だから僕みたいな子は、対等な対応をしてもらいたいんですよね。
こんな感じで、初心者の中でもどう扱ってもらいたいか、というのは人によりけりな部分だと思います。
だから人によって対応の仕方に正解はないかなと、僕は思ってます。
ただ、ここで記事を終えると、僕の可愛いところ(笑)を晒しただけで終わってしまうので、
どう人の抱えてる欲求を見抜けば良いの?ということについて書いて終わりたいと思いまする。
例えば、僕みたいな子が発言するときというのは、強い語尾を使った断定口調が、やけに多いとかあるんですよ。
〜だろ、とか。〜に違いない、とか。
すっごい、発言が限定的になる語尾を使うんですよね。
それが、決断な時なら良いんです。決断の時は、情報を取得選択して、判断する必要がありますから。でも常に使ってるとしたら、それはその人のニーズです。
情報を多く取得してるときというのは、様々な情報を認識するので、情報が限定的になる語尾って使いづらいんですよね。
限定的にしちゃうと、私はこの限定的な情報で、何かを認識してますよ、ということを開示することに繋がるので。
けど、そのリスクがありながらも断定口調を、多々使うということは、
私は私なりのやり方に自信を持っている、という意思表示であり、
同時にそれは、私のやり方以外の情報には関与しませんよ、という意思表示である。
そして、その関与しない部分にその人の見られたくない部分。
つまり、私のそこを見ないでね?というニーズがあるわけです。
だから、その人のやり方を尊重してあげると、喜ぶわけです。
特にこういう人達は。僕がそうだったから笑。
僕だったら、やり方を尊重してくれたら、犬のように懐きますよ笑。
もう一つ、例をあげたいと思います。
僕とはタイプが違う、「何を発言したら良いのかわからない」というタイプ。
こういうタイプは、めっちゃ不安なんですよね。
自分の1発言によって、世界の命運がかかっているのではないか?に近いくらい、感情的な負担がかかってるんだと思います。
違うタイプと書きましたが、僕もこういった経験があります笑。
多分ですけど、人によっては、「わからないなら、わからないなりにどう発言するか考えたらどう?」って言いたくなると思います。
それは、僕も言われたことがあります。でもまだめっちゃ傷つくんですよ。
いや、めちゃくちゃ面倒くさいでしょ?でも傷ついちゃうんですよね。
なぜかというと、自分なりにどう発言するか考えて、学んで、
しかも、めっちゃ時間使って、頑張ったんだけど、
頑張った結果、その考えた内容が、間違ってるような気がするし、ダメなような気がする。
だから、私は(この場でどの発言が正解か)何を発言したら分からない。
という意味合いが、行間に含まれているわけです。
めっちゃめんどくさいですよね?分かりづらいし。
でも、本人にとってはめちゃめちゃ深刻な問題なんですよね。
正解じゃない発言は、イコール、奈落の底に叩き落されるようなものですから。
だから、こういうタイプの人に対しては、
「私は貴方の発言を、理屈抜きで、ただ聞くだけで嬉しいんだよ」
という態度を取ってあげることが必要なわけです。
何故かというと、自分なりに考えた内容を開示しないということは、
その人の中で、まだその考えが何らかの基準に達してないわけです。
つまり、その考えでは、人に話す内容ではないと判断してるわけです。
だから、その考え方でも充分基準を満たしているよ、ということを教えてあげる必要があるんですよね。
でも、相手の基準は心の中にある以上、分かりませんよね。
なので、相手に対して肯定の意を伝えてあげることが必要なわけです。
ただ、何でも話して良いんだよ、だと、中々開示してくれないと思います。
何故なら、話すことに対して肯定してくれてるけど、
話す内容に対して肯定してくれるわけではない、と捉えられがちですから。
なので、貴方が話してくれるだけで、私は嬉しいんだよ、
といったように、話をすることと、聞き手が喜んでくれる、ことを、一致させてあげることが大事なんですよね。
話すだけで喜んでくれるとしたら、相当な話じゃない限り、何でも話せますよね。
だって、話すだけで喜んでることは確約できますから。
つまり、相手の中で話すことだけで、私の中の基準を満たせるんだ、と思えれば、勝手に相手の方から開示してくれるわけです。
とまあ、こんな感じですかね。
あとは、「わからない」を単純に言う人との、違いの見分け方を少し。
見分け方としては、「わからない」の前後にどんな言葉があるかどうか。
「わからない」という言葉は、私はそれを意識で感じたことも、考えたこともない、という意味合いを持ってるんです。
つまり、「わからない」という言葉は、本来、あっさりしてるんですよね。
例えるなら、風のように流れていくような感じでしょうか。
言葉が、場に留まらない。もしくは、わからないが話題にならない感じですかね。
けど、さっきのタイプの方の「わからない」の場合、自分なりに知り得ながらの「わからない」なので、どっしりしてるんですよね。
自分なりに知ってるからこそ、発言として、
「こんなに頑張ったのに」とか、「自分は精一杯やったし」とか。
わからないが、場に残るような発言が多くなるんです。
つまり、あっさりとした「わからない」だと、本当にわからないからこそ、「わからない」が問題になることはないが、
どっしりとした「わからない」だと、本当はわかってるからこそ、「わからない」が場に残りやすく、「わかる」「わからない」の間で押し問答。
ないしは、後味の悪くなる結果に着地してしまう、といった感じですかね。
まあ感覚的なことですけど、問題にしなくても良いくらいあっさりしてるか、
問題にする必要があるくらいどっしりしてるか、
で見分けてもらえたらなと思います。
今回はこんな感じです。
お読みいただきありがとうございました。