思いのままに。

人は形であり姿であり私であると、すごく感じた。

人が過去を語るときは形を帯びるし、

未来を語るときは姿を表すし、

感情を素直に表現するときは、私を表す。

 

ただただその人であるということは、

こういった言葉が、時間軸を超えて、

様々な形で、ただただ事実となるのだと感じた。

 

それは、凄く難しいことのように思う。

どれだけ本気でも、どれだけ全力でも、

怖いし不安だし恐れるし諦めたくもなる。

 

過去を語るとき、人は形となるが、

話してる本人が肯定できてないとき、

また過去を隠しているときは、それは形とならない。

未来に関しても、同じ。

語らなければ、姿にはならない。しかし、語ると姿になると思う。

 

 

言葉は本当に不思議なもので、様々な性質を帯びる。

なりたいは、なぜか姿にさせる不思議な力がある。

夢を語れば、なぜかそれが叶うようになる。

 

でも思うのは、言葉に様々な性質を帯びさせることは難しいということ。

過去を語り、それを肯定という形で完了させることは、

中々難しいということ。

 

 

 

 

大概、なりたい姿というのは、弱い部分、隠していた部分から、

現れてくることが多いようには感じる。

けれども、そうした部分を表現する機会に恵まれない。

 

でも、そこを肯定した先に、初めて、本気というか、

自分らしさや自分の明確に進みたい道がでるのかなと感じる。