エネルギーという感覚。

僕は、なんとなくエネルギーを取り込みやすい性質な気がしてる。

相手の底に秘めた感覚を、心と体で感じることが多い。

 

だから、人と仲良くなるのには結構時間がかかる。

相手のエネルギーを感じると、

このエネルギーに合わせないと、という意識がよく先行するため、

一気に緊張度が高まることが多い。

 

特に、何かしらの責任が生じる、制限のある場ではそうなりやすい。

人の、しなければならないというエネルギーは本当によく感じる。

 

だいたい、それを感じたときというのは、めっちゃしんどい。

心の中で、相手のそうしなければならない、

という気持ちが本当に伝わってくる。

 

具体的には、今からこれを言おうとしてるのだろうなとか、

今からこれをしようとしてるのだろうな、というのが伝わってくる。

それは表情や体のわずかな動き、目などから感じ取っているはず。

 

 

いつも人と話したりするときというのは、相手の感覚と

チューニングすることを意識しているのだが、

場が広い時だと、様々な人のエネルギーを取り込み、

そんなことしなければならないなんて無理、

といったような感覚も取り込むため、

チューニングすることに非常に罪悪感を感じる。

 

そうすると、大概顔が顔が引きつるのと、笑顔がぎこちなくなる。

また、言葉が全くをもってでてこなくなり、

誰かと話すのが本当に本当にめんどくさくなってくる。

 

ただ、大体こうして取り込んだエネルギーは、

自分の中の未消化となっている感情である可能性が高い。

大抵、自分の中の未消化の感情を癒していくこと、

もしくは、感覚を引き上げることで、

そこに対して愛や持つことが可能となり、

罪悪感を抱かなくなることが多い。

 

しかし、そうは言っても取り込むからめんどくさい。

人が、不足感を軸にして意思決定を行えば、

それは目線の固定や、視野として取り込む場所の制限として、

現れることが多い。

 

大体それを見ると、必死に頑張ってるけども、

これで良いのかなといった不安を感じてることが伝わってくる。

そうすると、僕が主体的に動くことができなくなる。

僕が相手が見えてなかった部分から答えを導いて、 

それによって、相手はきっと罪悪感と無価値観を感じるだろうなと。

 

そう思うと、何も言えないし、

答えは知っていても、何もやらなくなること、

何も言わなくなることが非常に多い。

だから、主体的に動くということは本当に嫌いだと感じる。

ここは、おそらくというか、間違いなく、

未消化の感情からの投影だろうけど。

 

だから、やらないとか、しないとか、

そうした意思決定を持ってる人の近くは非常に楽だと感じる。

何もやらなくて良いと感じる。

この場では、そういった対応もありかと感じられる。

そうすると、ただ感覚のままにアドバイスしている自分を感じる。

 

おそらく、自分の中の投影が変わったからだろうけど。

そう思うと、自分の中の未消化の感情が多い故に、

そうした選択になっているのかなと、非常に感じられる。

 

だから選択肢にもっと許可を出すことで、これを打破する必要が、

あるなという風に感じられる。

 

あとは、だから人のどんな部分でも、

受け止めようと思うのかなと感じる。

 

自分が楽さを作り出すには、相手のその縛られた観念を、

解いてあげることが大事だろうなと感じていて、

自由になって、飛び立ってくださいと願ってるのかなと感じる。

だから自由のような、意思決定を自らが主体となって選択するような人が、

好きだったりするのだろうなという風に感じられる。

 

つまり、この相手の自由さに好きを抱いて、

自分の自由さに許可を出さないパターンというのは、

自分の中にある様々な縛られたような感覚を癒していかないと、

変わることのないものだと感じる。

 

おそらくこのパターンを変えないと、彼女ができたときに、

そんなに自由にして俺のことを愛してないのか?といったような、

俺は自由でないし、俺が自由を許可してるのに、なぜ君は、

俺の君に対する気持ちをわからない?とおった形の、

攻撃心に変わることは強く感じる。