カリスマ性。
カリスマ性、めっちゃ欲しい。
人を惹きつける何かしらの魅力を持っている人、
という意味合いで自分は捉えている。
人を惹きつける何かというのは、たくさんあると思うが、
カリスマ性を発揮してる時というのは、
心理的に自己評価が良いものになってるときだと感じる。
人は、私には無理と感じる時、罪悪感を感じている。
発言として、私なんてとか。
俺にはそれができっこないとか、そういった発言が表れる。
そうした時、大概、心の感覚として、
自分がとんでもないことを起こすような、
そんな自分の影響力が悪い方向に現実を進める、
というダークストーリーを強く感じている。
とすると、自分の影響力と罪悪感ストーリーが一致してしまうので、
自分の影響力が良い現実を作り出すとは思えない。
すると、人は主体性や創造性を失う。
結果的に、人を惹きつけるとは逆のエネルギーを発する。
って考えると、どれだけ自分の影響力を良いものと見れるか。
これが、カリスマ性を発揮させていくのに必要なことだと感じる。
罪悪感ストーリーを心の中で受け入れることができた時、
大概、創造性というのが生まれる。
ダークストーリーというのは、
私は人にこんな気持ちで見られたくない、
私はこんな風に判断されたくない、
そして、そう見られてるのが私だとは思いたくない、
そういった、気持ちが自分の中に溢れている状態。
だから、ダークストーリーを人は恐れる。
そんな誰からも望まれてない状態で、
幸せを望まれてない状態で生きていけるとは思えないから。
それはある角度から見ると事実である。
自分の行いによっては、自分の幸せや成功を望まない人もいるだろう。
逆に、こちらの不幸や失敗を望むものもいるだろう。
そこに、どれだけ自分が入っていけるかが鍵となる。
私は誰かに望まれない生き方をするものである、
誰かにとって、幸せを感じさせないことをしてしまうものである。
しかし、私はその事実を受け入れた上で、こう感じていきたい。
私はこれをこの人達に、届けていきたい。
そうして始めて、本当の意味での主体性と創造性が生まれる。
これは組織の変革と似ていると感じる。
組織で問題となっているものを変えようと試みる時、
その人は白い目や批判的な目で見られることだろう。
そこで、その目を自分に向けられているということを受け入れ、
その上でも組織やここの人達のために本当の幸せや愛を届けたい。
その思いを貫けたとき、組織は大きく変革すると感じる。
具体的に言えば、私がこういった判断をされるということは、
周りの人達も自らを同じように判断しているということであり、
その判断は恐れや不安の方にエネルギーを投資することを意味するため、
幸せを手にすることには繋がらない。
だから、私が判断の全てを受け入れて、私が不安や恐れにエネルギーを投資することをやめて、幸せを選択しよう。そしてそれをみんなに届けよう。
そう思うことだと感じる。
この意識を持った人物は、カリスマ性を大きく持った人物なのではと感じる。
ただ、不都合な判断を受け入れるときというのは、恐れや不安に入り、
その不都合な判断を下した人物に対して、怒りや憎しみを吐き出し、
悲しさや寂しさを持って、判断をされる前に、私の感じていたこと、私の意図していたことを引き出していく必要がある。
そうして表れた、私の感じていたことはとても繊細で脆い。
判断されると簡単に、自己否定や罪悪感の方向性へと向かっていく。
つまり、その時に、その繊細な気持ちを自分が大切に扱うという覚悟が必要となる。
それは、実は感じていたことを抑圧することで人を愛していたということと、
引き出された私の感じていたことというのは、判断してきた人達に対して、絶対的な愛を持っていたということを、自分の中で受け入れること。
つまり、何がどうであれ、自分はその人のことを愛したいんだと。
その気持ちと繋がることが繊細な気持ちを守るのに必要である。
なぜなら、ただ感じたということには、自己愛と他者愛が含まれてるから。
ここはちょっとうまく言語化できない、
ただその真実と繋がらないと、感じていたことは受容に繋がらないはず。
そうすると、ただただ自分の幸せと愛が引き出てくるので、
そこからじゃあこの人達にこれを届けようと思える。
しかも、今度は判断された時の痛みや感覚を受容した上でそうできるので、
本当に相手の問題となっている部分を愛していけることに繋がる。
しかも、自己受容ができてるので、心が折れない。愛し続けられる。
と、個人的には思っている。
あとは、回りくどいことをせずに、ただ自分に良い言葉を送る。
人は行動するとき、自分の影響力を判断材料として行動したりする。
要は、過去に自分はその行動や発言で上手くいったのか?を気にする。
つまり上手くいかなかった、罪悪感として感じられてる部分は避ける傾向にある。
なので、ただ自分に対して良い言葉を送ることが、結構効果ある。
良い言葉を送るときというのは、創造性の感覚と繋がってる。
要は、イメージのない空白性を今ここで作るということ。
もっと簡単に言えば、選択だけして、良い手段がくることを信頼すること。
別の言い方だと、ただ委ねるという感じになるのかな。
ただコツがあって、どれだけその言葉を言うときに、
頭の中で、空白を作れるかどうかが鍵となる。
要は頭を空っぽにできるかどうかが鍵となる。
この空白の時は、自分の奥に眠っている純粋な人への愛と繋がってる。
なぜかっていうと、人に対する純粋な愛を持ってる時は、大概迷いが生まれないので、空白の状態を選択するということは、
今ここにおいて、その純粋な愛と繋がるということ。
そうして、あとは、委ねるだけという選択になる。
あとは、勝手に無意識辺りがそれを現実としてくれるという形となる。
どちらを選択するのかは人の好みだとは思うけど、
どちらを選択するにしても障害となるのは確実にエゴのエネルギー。
許さないとか、やりたくないとか、受け入れたくないとか、
純粋な愛と繋がりたくないという気持ち。
だからオススメなのは、純粋な愛と繋がることを繰り返して、
エゴのエネルギーを論理的に理解していった上で、
純粋な愛のエネルギーはこれだなという実感を掴むことだけど、
それもまた1人でやるのはしんどいし苦しいし、
じゃあどうしたものかと思うと、これもようわからんし、
やっぱりそのエネルギーを知っている人と繋がるのが、あくまで今は
最短かなぁと感じる。
という感じですかね、今回はなんか孤独と分離エネルギー多めで書いた気がするから、ここはまた修正していきたいなと。
孤独と抽象性はやはり比例するなと感じる。
今回もお読みいただきありがとうございました。