つらららっと。

思ったことを、氷柱のようにつらっと。

 

 

僕は自他共に認める惚れ症である。

前からよく人のことを好きになるなと感じていたが、

最近、他人と比べて本当によく人を好きになりやすいなと感じる。

 

この惚れ症に関しては、なぜ起きるのか?を前々から分析していた。

俺このパターンを持ってると、絶対に浮気するなと思ったからである。

 

で、今まで分析した結果、おそらく、傷を前提として人を好きになってるのだろうなと感じていたのだが、今日明確にその原因がわかった。

 

僕が人を好きになるとき、大抵、時間が経った後に性的な感覚を感じることが多い。これまじでなんなんだろうなと思ってたのだが、どうやら、これは、相手は包み込んでくれるような、受け止めてくれるような、部分を期待してるからだと気付いた。  

 

また、もう一個奥深く進むと僕のいじめの体験が、完全に関連していることがわかった。僕のこの時に生じる好きという感情は、大概、この人じゃなければダメだ、この人がいなくなったら終わりだという感覚として感じることが多い。

 

この感覚は悲痛な気持ちを同時に感じるので、とても悲しいし寂しい。

でも、感じてる感情は、どうやらそれだけではないらしい。

毎度この感情に入ると、どうしようもない絶望と罪悪感を感じていた。

どうやら、いじめの時に感じていた感覚を感じるかららしい。

 

要は、いじめの時に感じていた感覚と感情をまだ吐き出せていない。

だから、心は常にその状況から脱する術を探している。

そこに、少しでも自分の心をわかってくれる人が居たらどうなるだろう。

 

自分では受け止められない気持ちを少しでも相手は受け止めてくれるわけだ。

当然好きになるだろう。

なぜなら、この人は、自分の絶望的な状況から抜けさせてくれる、希望のような存在なのだから。

 

というわけで、なぜ性的なエネルギーが、

生命力と言われるのか何となくわかったような気がしている。

 

心の中では常に傷から抜け出す状況を人は探していて、

抜け出してくれそうな人を見つけたら、藁にもすがる思いでくっ付こうとするのだなと。そうして、その時、特に男性の場合は、受け止めてくれるような母性のようなものに、助けてくれるだろうという投影を貼り付けるのかなと。

 

だから、それが性的なエネルギーとして感じるのかなと感じた。

つまり、俺の惚れ症は、傷を癒せば違う形になるということのはず。

 

 

またもう一つ気付いたことは、

傷があると、大概、相手に投影するのは、

この人はこの傷を抜け出してる人か、抜け出してないか?で判断するなと。

 

しかし、その判断は結構曖昧だなと感じる。

自分の場合は、いじめの時に絶対に言えなかったであろう言葉を、相手が言えてるどうか。もしくは自分が使えなかった感覚を使って行動したり自分を整えてるかどうか。そうした要素で、相手のことを判断しているのを感じる。

 

この時の言葉だと、まじ楽しいー!とか、私こう感じるんだよね〜とかとか。

僕の場合、自分が何を感じてるかを表現することすら許せないし、あり得ないと判断していたので、今もその感覚は封印されている。

その感覚を使った瞬間、その感覚を使っていじめられた時のことが思い浮かぶので、怖さや絶望で深く心が覆い尽くされ、死にたくなる。

 

といった形なので、その感覚を使っている人に対しては、

あんな荒波を乗り超えたすごい人だ!という投影が無意識に起こる。

なので、調子に乗りそうになる自分をいつも感じる。

こんなに凄い人になら、何を言っても良いの偶像崇拝が起きるのである。

しかし、事実はそうではないので、大概調子に乗ると後悔する形になる。

 

で、なぜこの話をしたのかというと、

この時の心理パターンというのが、依存と自立の関係性なのだろうなと。

この人は私が乗り越えられなかったところを乗り越えてる人!だって、私の出来なかったことをできてるから!という判断が起きれば、相手の気持ちをあまり考えたり配慮したりせずに、行動に移るようになるだろう。

 

たこの時、大概自分なんての思いに陥りやすいはず。

自分はめちゃくちゃこのパターンに陥ってると感じる。

自分なんかとよく感じることが本当に多いので、表現するのも怖いし、話すのも怖いし、いつもしてる分析や理解の力を他者に使うのもものすごく怖い。

何もできていなかった、自分なんかがやるのは、お後がましいのでは?の思いに駆られるから。

 

 

だからこれらを踏まえて強く感じるのは、いじめの傷が癒えれば、人生は更に大きく変わるだろうなと。

 

自分なんてという気持ちが癒えれば、

自分なんてに投資していたエネルギーが消えるので、今まで自分のことを分析するのに使っていた力の数々を他人に投資できるはず。

 

使えなかった感覚を取り戻せれば、その分、嫉妬の嵐も止まる。

それだけではなく、使える感覚が多くなるので、表現の幅が絶大に広がるはず。そうすると、本当に自分のやりたかったこともできるようになるはず。 

 

またいじめの傷を癒していく中で、生命力の引き上げかたのコツも掴めるはず。

生命力は状況や状態関係なく生き抜くという、1人で状況を切り開いていく力なので、男性性もかなり上がるだろうし、様々な人の役に立てるはず。

と同時に、ここに書いた三つのエネルギーを纏めあげれる形になるはず。

 

この感覚を書くと、浮き上がってくるのが恋愛か。

前にカウンセリングを受けた時に、あるカウンセラーさんに、

あなたが自分らしく生きていた時に、後ろにそっといる人にすると良いと言われたことを思い出した。

 

好き的な性的な興奮を伴う形での恋愛はそれもまた良いけど、

10年、20年経つとなんか違うなという感じや微妙なストレス等々を感じたり、場合によっては離婚に繋がったりするという話を聞いた。

そして、元々は本能的な部分で恋をするから、

男性として引き上がった時に、初めて男と女は違うものと理解し、本当に女性的な人を好きになると言われたのを思い出した。

 

なんかこれ書くと、すご〜くスッキリするなぁ。

そうだよなぁ、それが幸せな感じだったりするよなぁと。

お互いに、自分らしくなって、男と女で違う生き物であり、そうして、お互いに違う形での魅力をくっきりとはっきり表現していく形。めっちゃ良いな〜!

書くだけでも、幸せなのがわかる〜!

 

というわけで、さっき書いた三つの部分を引き上げてから、恋愛って形かなぁ。 

そこにすごく、自分らしさを前面に引き上げて表現していて、最高に自分らしくて幸せで楽しすぎる感覚を感じる。めっちゃめっちゃ楽しみだわ〜!

 

仮説的には、いじめの傷が癒えればというところだから、

もうじき引きあがるはずだが、約1週間くらいでどこまで入れるか。

ここまで仮説が立てられるのなら、そう遠くない日に現実になりそうだが、さてどうなるか。まだ修正するところでてくるかな。

とりあえず、明日から色々試行錯誤しながらやってみよー!

 

本当、めっちゃ楽しみだわ〜!書いてる瞬間も幸せ過ぎる!

いじめられて、本当に良かったかも、嬉しいって!ありがとう!って感じる笑。