大きな闇は光への希望。

・自臭症や精神的な疾患で悩んでいる人が、それに悩まなくなったとしたらどう感じるだろう。すっごい、幸せに思う。今までの絶望が大きかっただけに、そこで手にできる自分らしさというのは輝きに満ちている。

それをその姿を想像するだけで、最高の幸せに包まれる気がする。

 

今まで散々苦しい気持ちをしていただろうけど、よかったねって。

ずっとずっと自分らしくいられなくて悩み続けてきた苦しみがあったからこその今だろうし、そこで輝いてる姿が、人の可能性と人の希望を感じさせる。

 

人によっては自臭症は食べたいものも食べられない、飲みたいものも飲めない、話したいことも話せない、やりたいこともできない、といったような風になる。

でももしその人達が、そのできなかったという悩みを克服し、できるようになったとしたらどれだけの幸せとどれだけの喜びを感じるのだろうか。

自分は本当に生きていてよかったな、といった風に思うかもしれない。

 

悩んでいたり苦しんでいたりしている人は、それを中々表に出すことはできない。

だからどういったアプローチが良いのだろうか。

自分がこうしてブログを書いて、それをもしこの症状で悩んでいる人が見たとしたらどう思うだろうか。よかった、情報が届いんだなぁと、嬉しく思うだろうし。変化してもらえるきっかけづくりを与えられたことに、ただただ喜びを感じると思う。

 

自臭症のみではなく、大抵の精神病や疾患などに対してもそう言えるはず。

ただ経験してない部分に対しては、自信のなさを感じるはず。

しかし、もし、自分の経験からきた情報などが、その人の元へと伝わったりしたとしたらどうだろうか?

 

これで良いのだろうか、これで相手は変化できるのだろうか、そうした不安や自信のなさというのは強く感じるはず。

としたら、経験がない自分が何を伝えれば相手にとっての喜びとなるのだろう?

僕が伝えられる一番のことは、気持ちだと思う。また信頼。

 

 

あなたなら大丈夫。あなたなら絶対に何とかなる。あなたにはそれだけの力がある。

相手が必ずできるという未来を通して伝える信頼というのは、自分にとってはすごく喜びのような気がする。その人が、未来で輝いている姿が見えるし、その人が未来で大きく羽ばたき活躍している姿が見えるだろうから。

 

としたら、誰かを信じるということを繰り返したい。

しかし、毎度書いてて思うけど、具体的な場所がいつも明記されない。ここは、なんか避けてるんだろうなぁ。

 

もし、直接会った人に対して、あなたは大丈夫、あなたなら幸せになると伝えて、最初は受け取れないかもしれないけど、段々と変化していったらどうだろう?

自分の場合は自分にはそんな力があったんだとか、自分にそんなことができたんだみたいなことを感じたりする。

しかし、自分にそんな影響力があったこと。もしくは言葉というものに影響力があったということを知ったとしたら、その影響力という存在で相手が受け取ってくれてどんどん意欲的な姿になっていて変わる姿を嬉しく思うはず。

 

また、相手が変わる選択をしてくれてること、日々成長というのをしてくれていることが、本当に幸せだろうなと思う。

 

もしそれがさ、その伝えたことが新宿駅の目の前で、出会った見知らぬ人であったとしても、いやめちゃめちゃ怖いしめちゃ危ない人になりそうだけど(笑)、相手のうまくいってなかった時の姿、廃れたりしている姿とかを知っていれば、そこからの変化で親密感を感じられるだろうし、同時に、ここまで人は変われるんだと人は変化できるんだと、本当に本当に最高の喜びと幸せを感じられるはず。

 

俺がお役に立てたんだなというか、この言葉や自分の言動に価値があって、それは人を幸せや大きな喜びへと導く力があるんだなと実感できるだろうから。

そう考えると、いま自分が幸せになる機会は無数にあるはず。

ただそこには大きな勇気が必要であるということかな。

 

と同時に、今の自分の場合は、相手の幸せや喜びを通して自分の何かに価値があって、人を幸せにできる力があるんだなという実感を得られることが、大きな喜びであり幸せなんだなと感じる。