男として。

男として本当にしたいことは何なのかなと。

やっぱり仕事とか社会的な成功とか、社会で何か目ぼしい結果を出すことなのかなという風に感じたりする。

 

ただ自分は注射や手術などが怖いと感じるのだけど、この怖いは、僕の場合は失敗するんじゃないかとか。失敗して自分はとんでもない目にあうのでは、という気持ちから生じている怖さ。

そうしてその怖さを感じてる時、手術したり注射したりする人はどれだけ経験があったり、どれだけ練習をしたりしていたとしても、失敗する人だというイメージを自分が貼り付けているので。

 

投影の法則により、自分にもこのイメージは適用され、自分はどれだけ経験しても練習しても、失敗してとんでもないことを起こしてしまう。という感覚に繋がる。

だから自信のなさや完璧にしなければという意識が生まれるだけではなく、自分という存在はとんでもない失敗をしてしまうと感じている以上、何をするにしても怖いという感情が生じてしまう。

 

だからどれだけやっても自分のことを認められないだけじゃなく。

その恐れからくるイメージが現実にならないように、現実になりそうなことは避けるようになるので、仕事とかお金を稼ぐ手段も限られてきてしまう。

そうなると、社会的な成功であったりは明らかに遠のいていくはず。

 

だからこう考えると、リスクがあったり、また傷つくとしても、人に積極的に頼りまくるという感覚は、自分が社会的に成功するには必要なんだなと感じる。

 

 

ただここまで書いて思うのは、じゃあ本当に欲しいものは何?ということ。

自分らしくいたいと願うかな、これをしたらこう思われるんじゃないか?自分はこんなとんでもないことをしてしまうんじゃないか?といったような罪悪感や恐れを感じることなく、自分を全身全霊で表現していきたいんだなと感じる。

 

 

 

 

それは今の自分にとってはできるわけがなく、そんなの実現不可能だと思うことではあるが、同時に思うのは、もし他者の理解や共感を得られて、そうした自分らしい未来を作れたとしたら、どれほど幸せでどれほど楽しいものなのかなと感じる。

 

そこに、自分の本当の幸せ、社会で成功したい意味があるかも。

つまりここでの社会で成功したいという欲求は、社会で成功している自分ならば、罪悪感のしがらみを超えて、自分らしくいるだろうという期待から生じてるのかな。

 

そう思うと、本当に欲しいものは?と言われると、自分らしさを全身全霊で表現することができる、社会というものが欲しい。個性と個性がぶつかり合うけれども、決してそれは悪いものではなく。互いが互いを認め尊重し合い、その上で自分の全てを引き出して、それを様々な形で表現ないしは、問題を解決していくこと。

 

そうして、色々な人が自分らしくいられたとしたら幸せだなと。

自分らしくいられない今は、自分らしくいられる人を見ると、なんでこの人だけという嫉妬の気持ちや、この人はできたけどどうせ俺なんか無理だという自信のなさを感じたりとかするけども。

 

実際のところとしては、自分が自分らしく入られて、そういう風になれたとしたら、他の人にも自分らしくいて欲しいなという気持ちが幸せとともにあるのかな。

そう考えると、本当は自分らしくいたいからこそ嫉妬や自信のなさを感じるのだろうし、それだけではなくその自信のなさや嫉妬は、まだ自分らしくいられてない人を見つけるものになるだけではなく。

同時に幸せへと繋がる感覚でもあるのかなと感じた。ここは少し強引か。

 

その上で、本当にしたいことは?と問われると、人のミスや失敗を許したい。その上で人の頑張りや努力をまずは認めて、その人にもっともっと自由に、自分らしく生きていって良いんだよという気付きを与えたい。

 

ただそのためには、僕がどんなしがらみやどんな困難があるところでも、自分らしくいるにはこうしたら、こうであれば良いんだよというのを、体験として知って示していく必要というのがあると思う。

 

だから本当にしたいこととは、深い闇の中でも、自分らしく生きていけるような力が欲しいかな、これがあれば様々な人を助けられるし、幸せへと導けるから。

だからこそ、今、自分の心と向き合ってるっていうのもあるのだろうか。

 

そうすると、闇そのものが才能であるというか、避けがちになるところであるが、そこを避けずに突っ込んで花がひらけば、そこそのものがリーダーシップになるはず。

あ、さあ考えると、闇に突っ込むというのは悪くないのと、リーダーシップ形成という力になるのか。

 

この闇に突っ込むことで、多くの人に自分らしさや幸せを与えられるということを考えると、世の中にある闇の多くや自分の心の中にある闇に突っ込むことに意味が生まれるだけではなく、多くの人を幸せにしていける才能の部分なので、闇が深いこと、そのものは才能になるし、またそこに逃げないことも才能になりうるはず。

 

とするならば、闇は楽しいもの、という部分まで発展して良いのかな。

これはちょっと無理があるような、強引さがあるような気もする。

 

でもむしろそう考えると、闇に入れば入るほど、光のイメージや感覚は増えるだろうし、そうすると多くの人の幸せの姿やイメージが浮かぶだろうから、多くの人の力になっていけるだろうし。同時に、多くの幸せを感じられるはず。また人に対して与える手段というのが本当に大きくなるはず。

やっぱり、闇そのものは与えるための才能か。愛の才能か。

 

としたら、楽しみかな。闇があればあるほど、大きな幸せに繋がるため、その人の将来は楽しみなものである。この視点からは人に対する絶対的な信頼と安心を与えるような形に向いていくはず。だから、良い感じになってる気もする。

 

よーし。良い感じかなぁ。楽しみであると同時に、まだ不安もあるけど、幸せのイメージや感覚が見えたから、あとはこれを欲していくだけかな。欲しいと願う。