セラピー2(保存用)

 

2□自分のある部分を見せる→それを見せた時にして欲しい態度、という順で書く。

 

・例

貴方達に今日自分のことしか考えていなかったときの自分を見せます。

貴方達がそれを今日は受け入れてください。

 

・目的

このワークは特に自分の中のネガテイブな感情やネガテイブな体験を用いる。

大抵、自分の中に隠している体験や感情というのは、

それを愛に変えてくれる存在など居ないという不信感からくるものであるが、

全て投影である以上、それは自分の愛に関する不信感である。

 

と言っても、自分の愛に対する不信感は強いエゴとともに生じている以上、

自分の愛があるという前提でワークをやるのはとても辛いものである。

 

エゴは酷い自己概念を前提として、他の人に対して飢餓感のような形で愛を求めてるので、ならエゴの順序で、今それを満たしてしまおうという目的。

 

・解説

この手法ははっきりと言えば、根本的な解決にはならない。

なぜなら、自分の中に、このネガテイブな自分を受容できる程の愛があったんだ、という実感には至らないからである。

けれども、それに向けた足がかりを作ることはできる。

 

 

このワークを繰り返すことで、「ああ俺はこんな自分が嫌だと思っていたんだな」といったような形で実感を得ることが可能となる。

 

これは1のワークとほど似たような形であるが、

エゴの流れとして酷い自己概念を持っているときというのは、相手が愛してくれて当然だに近いような思いを抱えている。

 

なので、今ここでその愛してくれて当然だという思いに乗っかるように、

自分のどんな部分でも愛してくれるような存在を今ここで作ることにより、

自分の中にある愛というものを少し感じることができるようになる。

 

・効果

一番大きな効果は、自分の中にあるネガテイブな理由を無くせるということである。

行動の足枷になる時に生じているものは、大抵、罪悪感である。

 

例えば、人を批判していたという経験は、

人と出会った時に、この人は批判する人かもという投影や、

私は人を批判するから、私に幸せは相応しくない。

などの気持ちに繋がることがあり、

私の本当に欲しいものに向けた行動の足枷となることが多い。

 

このワークは、「本当にダメだと思っていた自分」という、罪悪感や無価値観まみれとなっていた、自己嫌悪している自分に対象が当てられるものであり、

そんな自分に本当にして欲しかったことを罪悪感を超えて得るというワークである。

 

簡潔に言えば、許しが与えられるワークである。

言い換えれば、今私は許されることを選択するワークであり、

自分のダメな部分を許し愛してくれる人の存在を信頼するワークである。

 

なので、このワークにより、

罪悪感を通して取得していた、私を傷つけたり攻撃してくる人という見方が変わり、

新しい選択ができるようになるのである。

 

長々と書いたが、罪悪感が癒えますよというお話である。

 

・注意点

注意点はいくつかある。

一つは、辛さと苦しさが強く生じることがある。

これは、自分のことを受け入れてくれる存在などいるわけがない、という不信感から生じるものであるが、

その時の痛みが強ければ強いほど、苦しく辛いものになる。

 

特にこの辛さや苦しさは、過去の苦い思い出を一言で書き記する時。

その痛みを肯定してくれる存在を創造する時。

の二つで特に生じるように思う。

 

これは過去の痛みがある以上、仕方のないことであるが、

悲しさ辛さ苦しさ、特に寂しさが強く生じるように感じる。

 

もう一つは、受け入れてくれる人を創造する時に、罪悪感を感じることが多い。

これは隠してきただけにしょうがないことではあるのだが、

責められてるように感じることがある。

 

・対策

前回と似たような形になるが、

何よりも重要なのは「自分の人生の責任は自分で取る」という強い覚悟である。

 

言い換えると、何の目的意識を持つかということである。

「効果を求める」「現実的な変化を強く望む」等々の、

変わることを望む目的で行っていると、中々難しいように思う。

 

あくまでこのワークは、

誰かに何かをしてもらうためにやるのでもなく、

自分が誰かに何かをするためにやるのでもなく、

自分の感情の責任は自分で取るためにやるものである。

 

なので、この感情や体験は自分で満たせるようにしよう。

もしくは、この体験とこの感情を落ち着いて話せるようにして、

誰かが愛し救いやすいような状態にしようという目的で望むのが大事である。

 

 

あと、少し付け足すのであれば、

この一連のワークで感じる感情というのは、

自分が嫌ってる体験と感情と、

それを許し愛してくれる人との距離感を表している。

 

日常において、許し愛してくれる人に対してこの感情を感じてるということであり、もしかすると、表面的に感じているのは怒りといった別のものかもしれない。

 

「効果」の部分でも前述したが、この感情の多くは、行動の時の制限となることがあるので、

要はこのワークで、その感情を超えて、本当に欲しかったものを手にしてしまいましょう、というわけである。

 

そして、選択したあとは、委ねるというだけである。