セラピー19(保存用)
19□自分の〜が伝わらなくても、私は充分にやったと書き、
それが伝わってないということを選択しない、と書く。
・例
私の優しさが伝わらなくても、私は充分にやった。
優しさが伝わってないということを選択しない。
私の凄さが伝わらなくても、私は充分にやった。
凄さが伝わってないということを選択しない。
私の意図が伝わらなくても、私は充分にやった。
意図が伝わってないということを選択しない。
・目的
自分の何かが伝わらなかった経験があると、
自分の何かは伝わる価値のあるものだという証明の感覚に入ることがある。
「おかしい」「間違いだ」などの感覚を元に、
「私がそれだけのことができると感じられるような何かを、自分から作り出そうとする」これは、人をコントロールする等々、
自分の証明のために、人に働きかけるという選択を取ることがある。
このとき、「俺はこんだけやってるんだぞ」という感覚だけを採用すると、
他の人が充分にやっているようには見えなくなるので、
暴走することに繋がってしまうこともある。
また、その暴走の失敗の経験を通して、
「私は分かっていなかったんだ」という感覚を積み重ねると、
穏やかさには繋がるが、
「俺はこんだけやってるんだぞ」という感覚が、満たされたわけではないので、
自分が新しい選択をした時に、「どうして自分は認めてもらえないんだ」
という思考が募りに募る。
そうすると、「俺はこんだけやってるんだぞ」という意識が広がり、
そこから、「相手は全然やってない」という情報を取得することとなり、
結果的に以前とはバージョンアップした、
「お前はこうだよな、俺はこうなんだよ!」と
認めてもらうにふさわしい理論を相手に叩きつけることに繋がる。
これは、関係性を壊すことに繋がることもあるし、
また他の側面では、
誰かのことを「俺はこんだけやってるんだぞ」っていう感覚が過るだけに、
認めたり評価したりすることがしづらくなることがある。
これは認めると、じゃあこんだけやってた俺はなんだったんだの気持ちになるため。
なので、今回のワークでは、
「伝わるか伝わらないかを置いておいて、私は私を認める」
という選択をすることで、
「いやそんなんでは充分にやったとは言えない」
を癒していけるような感覚を形成していく。
そして、「伝わってないことを選択しない」と選択することで、
「私は常に伝えることができてる」という感覚を形成し、
相手の反応で自分の不十分さを責める感覚を見つめることができるような、
そんな感覚を形成していくことをしていく。
・解説
嫉妬や妬みという、相手の価値を羨むような感覚というのは、
「この感覚が伝わらない自分には、到底手に入るものではない」
という、何かが違えさえすれば手に入る、というような感覚から生じる。
この羨む感覚に、「どうせ手に入らないし」などの諦めの感覚があると、
諦めが相手に投影されるので、
自分から見た相手は、やがて何らかの試練に押し潰される力なきものとなり、
「この程度のことに耐えられないなら、それは無理だね」
と自分の信念の一致を作るために、その人の壁となることがある。
この感覚の一番根っこにあるのは、
「私のこれは伝わらなかった」という酷いハートブレイクの感覚。
その感覚は「私ではなく他の人なら」というような感覚に繋がるので、
自分が再び主張や行動を始めると、
「私はこんだけやってるのに」という感覚を作り出すことがある。
今回のワークでは、
このハートブレイクの感覚に焦点を当てていきたい。
「伝わらなくても充分にやった」という言葉から、
「私が充分にやったのなら、もしや相手の方に問題が?」
という方向へと思考を動かし、
「伝わらなかったのは相手のせいなのでは、私は悪くないじゃん」
といったような、自分を認めつつ、相手を下げる感覚を引き出す。
次に、「伝わってないことを選択しない」と選択することで、
「相手に伝わってるかどうかではなく、伝わっていた」と、
この相手を下げて自分を認めていた感覚を、
相手には事情があったと理解しながら、自分を認めていく方へ動かしていく。
・注意点
これは、もはや仕方のなとことなのだが、
一つを認めると、また違う辛い感覚が生じてくることがある。
相手に悪意を感じたり、一方的に何かをされたなぁと感じた時のことが浮かび、
「いやあいつらはこちらが、そう選択したら責めてくるよ」
という、感覚とイメージが引き出されてくることがある。
・対策
「自分は何の選択をしていなかったか」という視点を持つこと。
この場合の「責めてくる」という感覚は、
「自分が自分のことを認めていない時に、
他人が何かを押し付けてきた時」の自分の心の中を投影している。
こちらが、「そのくらいやれよ」と思っていたら、
「自分は相手のことを認めずに何かを押し付ける状況を作り出した」
と理解した時に、責められるという感覚が先行する。
だから「何の選択をしていなかったか」という視点を持つことで、
「まずは一つの視点を形成し、また別の時に一つの視点を形成することで、
責めてくると感じる部分を理解できる視点を形成しよう」
と地道にコツコツ、そしてゆっくりと進む方向にマインドが向くので、
とりあえず、これだやりきろうかという方向に進みやすくなる。
あとは、「相手は相手なりにやってくれてたかも」という感覚も大事。
責めてくるという感覚だけが先行すると、
行き着くのは、「あいつ酷いことしてきたな」という感覚。
相手の尊重ができる視点が一つ形成されていると、
「なら、何かしらの事情があったのかも」という方に意識が向きやすいので
「投影という部分」「自分の選択をしていない部分」発想が至りやすく、
また自分の酷い気持ちを見つめたとしても、
それを相手にぶつけるとか、やり返すとかそういう発想にはなりづらい。
なので、とかく、いま自分の感じてることを信頼するのが大事だと感じる。