乗り越えてきた親父へ伝えたいこと。
1.超えられない、という感覚。
親父が、自分の出した作品よりも、上回るような作品を父親に出された時、
その作品がどうやって出てきたのか理解できなくて、
そして、自慢のような言葉を言われた時に、
超えられない、という風に感じたのかもしれない。
そんな時、親父は、俺にはこんな作品を出すことはできないんだ、
という諦めの感じと共に、もうやらないという決断をするくらい、
自分の作品と才能に価値を感じられなくなったのかもしれない。
ただそれでも乗り越えてきた、親父がすげぇよ。
超えられないと感じた時に、諦めやらないと一度は決断したはずなのに、
ここまでのしあがってきて、一体どれだけの努力をしたんだよ。
本当にすげぇなぁ。その努力と諦めない根性を何よりも尊敬する。
2.俺には何もできない、という感覚。
親父が散々、親に怒られて、叱られて、
何やっても叱られて怒られるという風に感じたとき。
良かれと思ってやったことも、愛情を持ってやったことも、
全て否定されたとき、親父は、俺には何もできない、と感じたかもしれない。
そんなとき親父は、何をやっても無駄だって感じる気持ちと同時に、
親に対して怒りや憎しみを感じ、もう誰に対しても何もしてやるかもんか、
と決意するほどに、深い悲しみと寂しさというのを強く感じたのかもしれない。
そんな気持ちを感じながらも、親を支え、親のために奉仕をした、
親父が本当にすげぇ。
そのとき、どれだけの葛藤があり、どれだけの苦しみがあったか。
それでも、なお、親のためを思って行動できる親父がすごいなぁ。
その選択と決断と、親父の愛を何よりも尊敬する。
3.俺は誰の役にも立たない、と感じたかもしれない。
親父が、いじめられて、誰かに意地悪なことを言われたりしたとき、
自分が今まで自信を持っていたことの全てに自信が持てなくなり、
俺のやることの全ては、誰の役にも立たないんだ、と感じたかもしれない。
そんなとき親父は、自分が不甲斐なくて不甲斐なくて仕方がなくなり、
今までの自分の行いの全てが意味がないように感じて、
もう誰とも会いたくない、何もしたくない、そんな気持ちになったかもしれない。
それだけの気持ちになりながらも、やられたらやり返すという精神で、
戦い乗り越え、ここまで様々なものを身に付けてきた親父がすげぇよ。
相当気持ち的に落ちたはずなのに、そこから人生を前進させて、
誰かを指揮し教える立場にまでなった親父のことを心の底から尊敬する。
4.俺だってこうしたい、という風に感じたかもしれない。
親父が、自分の楽しい未来を想像し、語った時に、
それを親や応援して欲しいと感じていた人達に否定されたとしたら、
自分にはやる資格がないのか、という深い悲しみと落ち込みと共に、
俺だってこうしたい、という風に感じたのかもしれない。
そんなとき親父は、自分の一番したいことを応援してくれない親に対して、
許せないという怒りを強く感じたかもしれない。
そして自分の人生は生きていく意味がないような、絶望を感じたかもしれない。
親父はそんな気持ちになりながらも、今日ここまで生きてきて、
仕事もし続け、子供も育ててきたことが何よりもすげぇよ。
そんだけの気持ちになりながらも、
前に進み続けてきた親父を何よりも尊敬する。
5.何をやっても無駄なのかもしれない、と感じたかもしれない。
親父が、何かが手に入ると期待して、努力や勉強をしていた時に、
誰かがそれを無意味なような言葉で、
期待したものは手に入らないと、投げかけることをしてきたとしたら、
何をやっても無駄なのかもしれない、と感じたかもしれない。
親父はそんな時、自分の将来や自分の成し遂げたいことを否定されたように感じ、
誰からも自分は認めてもらえないし愛されないからこそ、
もう何もやりたくないし、何やっても仕方がない、と感じたかもしれない。
そんな気持ちと戦いながら、ここまで成長を遂げてきた親父が本当にすげぇよ。
時には、やめたくなることもあっただろうし、
道に迷うことも、意味を感じなくなることも何度もあったはず。
でもそれでも諦めずに、ここまでやり遂げてきた親父を俺は尊敬するよ。