耐え抜いてきた親父に伝えたいこと。
1.誰も俺のことを見ない、と感じたかもしれない。
親父は、一人、苦しさ。寂しさ。孤独。そんな気持ちを感じ、
感じながらも、前に進み続けていたとき、
その辛い気持ちの数々を乗り越えたような姿を、ずっと誰かに見せているのに、
誰も親父のことを見てくれず、誰も何も伝えてくれないとしたら、
誰も俺のことを見ない、と感じたかもしれない。
そんなとき親父は、この世界に一人、自分だけのルールで、
前に進み乗り越えているような気がして、
自分は一人ぼっちのような、誰からも認められていないような、
そんな孤独感と生きていることへの無意味さを感じたかもしれない。
親父はそんな中でも、同じような痛みを抱え、戦い抜いている場を主戦場にし、
今日まで己を磨き鍛え上げ、ここまで成長してきた。それが本当にすげぇ。
痛みの中にはまっている時は、どれほどの苦しみと寂しさが襲ったか。
その中でも前に進み続け、大きなことを成した親父のことを尊敬する。
2.俺にできることがあるのだろうか、と感じていたのかもしれない。
親父は、目の前に痛みや傷を抱えた人が現れた時のことを思い浮かべては、
こんな自分がその人の痛みや傷を何とかできるのだろうか、
何とか俺が上手く、その人のことを救う対応ができるのだろうかと感じたとき、
そんな不安や恐れから、俺にできることはあるのだろうか、と感じたかもしれない。
親父はそんなとき、本来、助け救わなければいけない存在を前に、
何もできない自分を感じる度に、無力感や罪悪感を強く感じ、
そんな自分が誰かと一緒にいたら、その人を不幸にさせてしまう、
というような、自分が誰かの迷惑や毒になってしまう、と感じていたかもしれない。
親父はそう感じながらも、ここまで毎日のように、
誰かが危険な目に合わないようにという思いで、誰よりも知識と理論を身に付け、
危険な仕事で、今まで安全と安心というのを親父の力で作ってきた。
そんな親父が本当にすげぇなぁ。
親父が、ここまで誰かや何かのことを思って、
誰かの命のために己のことを磨き上げてきた、その強さと責任感を尊敬する。
3.俺の生き方と人生に意味はあったのか、と感じていたのかもしれない。
親父は、多くの人を育て、多くの仕事を取り、こなしたととしても、
親父が本当に目指していた最高のものが手に入らなかったことから、
親父自身が感じたかった喜びや幸せがもたらされたとは感じられず、
そんなとき、俺の生き方と人生に意味はあったのか、と感じたかもしれない。
そんなとき親父は、妻や息子のことを考えると、
これ以上はそれを手にするために無理することはできないと感じ、
本当に手にしたいことを諦め、このまま平凡のまま人生を終えよう。
これが、俺の人生だから後世にその思いを託そう、と思ったかもしれない。
自分の生き方と人生に意味を問うたとき、どれほどの絶望と虚無感を感じただろうか。そして、自分が手にしたかったものは後世に託そうと決断したとき、
どれほどの悲しさと寂しさが親父の心を埋め尽くしただろうか。
そんな気持ちになってまで、ずっと仕事をし続け、生き抜いてきた親父はすごい。
そして、そんな親父の素晴らしさを尊敬します。
4.何でそんなに責めるんだよ、と感じていたかもしれない。
親父は、親父のイメージした作品を作ったときや、
親父のイメージ通りに仕事をした時に、
手順ややり方。出来上がった作品と仕事の不出来さを責められ、
自分が全力を尽くして、一生懸命にやっただけに、
何でそんなに責めるんだよ、と感じたかもしれない。
そんなとき親父は、自分の可能性と自分の才能までを否定されたように感じ、
それが自分の将来や未来がないような感じがしたことから、
もうこいつのために、何もやってやらんと決断したのかもしれない。
親父は、そんなとき、深い悲しみや絶望と失望を感じたのかもしれない。
親父は、そんなどうしようもないような気分の中から、一人努力をし、
彼らを見返すくらいまで実力をつけて、のしあがってきたことが本当に凄い。
俺は親父の、そんな反骨心をただただ尊敬する。