何故、自立的な人は、依存を感じさせる相手を遠ざけたくなるのか。
心理学では、依存→自立という成長過程を歩むと言われている。
その中で、依存時代の誰かを頼れなかったなどなどの痛みを通して、
誰も頼らないような一人で生きていく、生き方を身に付ける。
そうすると、弱さとかネガティヴとか、
誰かに頼らなければいけないと感じる要素は、自分の中では消す必要が出てくる。
自分の中で消すことによって、強くなろうとしたり、
もっと一人で生き抜こうとする決意を強めていく。
しかし、一人で生きて行こうと決意を深めていくほど、
そういった決意をしていない人が気になったりしてくるのである。
例えば、困ったら誰かに頼れば良いや〜とか、
俺がやらなくても、誰かが勝手にやってくれるだろう〜とか。
別にそれは悪いことでもないのだが、自立をしている人にとっては、
「いや、やれよ」と、やる方向をその人に進めたくなるのだ。
その場合は、問題がないのだが、
「やれよ」という形で、伝えられないときストレスを感じることがある。
今回はその部分について、少し解説していきたい。
感情の痛みの中の一番下にあるのが、無価値観や罪悪感と呼ばれる感情なのだが、
これは自己否定を伴っている感情である。
だからこの感情を持つと、自分にはないと思うだけ、それを補う誰かや何かが必要なような気がする。
それが、依存と呼ばれるものである。
そして、この感情を押し殺して、自立せざるを得ない、という形で自立をしていき、
弱さが持つよりも、強くあらねばとか、
雑草のようにひたむきにコツコツと、私は這い上がっていく、みたいな、
とにかく、人に頼れなかっただけに、一人で這い上がることを試みる。
ここで、根性、忍耐、我慢、などなどの言葉がよく使われたりするように、
私は辛いし苦しいし、状況は絶望を感じるけども、
私はとにかくある目標のために突き進む、という選択をしていく形で、
前へ前へと進んでいく。
これらは、仕事とかであれば、
辛そうな人とか苦しそうな人とかに対して、
「お前も今は苦しいかもしれないけど、ここを乗り越えるかどうかが成長の鍵だからな、諦めるなよ」などなど、情熱的に助言をできる形に繋がる。
しかし、目的や目標が曖昧な友人関係。特に恋愛関係であると、
心と心が触れ合う場面というのが増えてくるわけなので、
苦しそうだったら、辛そうだったり、また依存的だったりすると、
この自分の乗り越えてきて身に付けた助言が伝えられなくなるのである。
そうすると、辛い苦しい依存などをそのまま相手を通して感じることになる。
要は、その辛さや苦しさを、乗り越えられる選択を自分で言葉を通して置くことができないので、
そこの苦しさなどから抜ける力のない人が、寄ってくるように感じるのである。
と書いて、今回は終わり。