セラピー16(保存用)

16□僕にはできないかもしれないけど、僕は〜を手にします。

僕は〜を手にするのにふさわしい、と書く。

 

・例

僕にはできないかもしれないけど、

僕は人気者になります。僕は人気者になるのにふさわしい。

 

僕にはできないかもしれないけど、僕はパートナーと幸せを手にします。

僕はパートナーと幸せを手にするのにふさわしい

 

僕にはできないかもしれないけど、僕は練習をし続けていきます。

僕は練習を続けていくのにふさわしい。

 

・目的

傷つくとき、手に入れたいけど、手に入れるかどうか迷ってる部分に、

言葉が当てられたりすることで傷ついたりする。

手に入れられるかどうか迷うのは、

過去に手に入れられないかもしれない、といったような思考をしたため。

 

そして、この思考を通して、

手に入れている人と手に入れてない人の分析を行うのだが、

ここでの分析は、自分はできてないというのが前提にある。

 

そしてこの前提というのは、手に入れる選択を拒むことになる。

できてない前提で思考をしているとき、

手に入れる選択をしようとすると、

過去にできてない前提で思考をした部分に焦点が当たる。

 

そこは自分を責めている部分なので、

それがありながらも、手にすることを選択すると、誰かに責められてるような気がするので、選択を行わない結果になってくる。

 

なので、今回は、「できないかもしれない」という言葉で、

その選択してこなかった部分を引き出し、

その部分を通して、今手に入れることを選択していく。

そしてふさわしいという言葉で、できないという観点から過去を見つめていた感覚を変え、何をしようがしていようが、「私は手にできる」という感覚を形成する。

 

・解説

トラウマと呼ばれるものがあるように、

人の言葉や行動と癒着して、「自分は手にできなかったんだ」

「自分はそれにふさわしくないんだ」というような判断を行うことがある。

 

かつて行ったその選択は、新しい選択をするときの障害となる。

新しい選択をしようとすると、その言葉が、

「そこでこんなことをしたら何て言われるかわからない」

といったような私は怒られて責められるという感覚を形成することがある。

 

それが痛みであり、新しい選択をしない元手のようなものなのだが、

それが、自分はそれを手にするにふさわしくない感覚を強化する。

 

なので、このワークを通して、

「できないかもしれない」という言葉で、

その人の言う通りになるかもしれない、という形で一つの現実を受け入れ、

 

その上で、私はこうしていく、そしてそれを手にするにふさわしい、

という選択を行なっていくことで、

例えそのような現実が私に再び訪れたとしても、

私はそれを手にできる存在だからという信頼を今ここで行なっていく。

 

・効果

一番は、今の自分が普段行なっている、

「私はこれができてないな」というような思考の連鎖を止めていけること。

また、「私はあのときこれができていなかったから」みたいな思考の連鎖も止めていける。

 

これらは、自分が何らかの選択を過去の痛みから行なっていないため生じるものであり、その部分は自分の中で問題となっている部分である。

 

そのとき、どれだけできていようとも自分のことを認めず、

また、段々と嫌になってくるような、

愛だったはずのものが、「手に入らない」という癇癪の元、

無意味のように感じられるようになり、

その長所そのものを止めてしまうこともある。

 

このワークでは、その流れを断ち切り、一気に感覚の中で痛みを超えて手に入れる。

そうして、過去にできない自分を通して分析した基準に達してるのが、

手にする条件だという感覚を手放し、

何をしていても何をしていなくてもそれを手に入れる、という段階へ入る。

 

要は、手段ややり方を問わず、それを手にするということ。

 

・注意点

自分は手にできてないという辛さや悲しさを感じることがある。

これは、自分が手にできないと判断したときのものであるが、

今までその選択を採用してきただけに、それを感じることがある。

 

他には、こんなことをしても意味がないような気がしてくる。

これは、自分が過去の手に入れられなかった自分が、

手に入れるために作成した基準と、

そしてその基準を掲げて、選択や行動をしてきたからこそ感じられるもの。

 

・対策

何よりも大切なのは、本来、自分はそれら全てを手にするのにふさわしかったと気付くこと。

そうすると、ここができてないなど、

自分で自分を責めたときの思考が感じられたりしてくるが、

それはただの錯覚であって、本来の自分とは違うもの。

 

そして、私は今まで、「手にするという選択をしてこなかったんだ」

という気付きが大切になる。

 

この気付きを信頼できると、「手にできなかったときの癇癪」や、

「そんなの意味ないじゃん」というような感覚を超えて、

ずっとこれを選択してこなかったからこそ辛かったのかもしれない。

 

手にできないという痛みにはまってただけなのかもしれない、

自分が自分を責める選択をしていただけだったんだなと思えるので、

これがあると、選択をし続けていける。