被害者になったときに、怒ることができない貴方へ。

 

 

1.貴方の中の、そんなことして良いわけがない、という正しさを大切にして欲しい。

 

貴方は、誰かに責められたり、いじめられたりしたときに、

そんなことして良いわけがない、と感じることがあるかもしれない。

しかし貴方は、もしかしたら、そう感じた気持ちを、

いや何かができてない自分が悪いと自分のことを責めることで、

そう感じた気持ちを否定するのかもしれない。

 

でもそんな時は、そう自分のことを責めることはしなくて良い。

貴方がそんなことして良いわけがない、と感じれるということは、

貴方はその行為で、誰かが傷つくということや誰かの人生が壊れるということを知っているということであり、

それは、貴方がかつて同じような目に遭って傷ついた誰かの痛みや気持ちに触れることができたからこそ、そう感じれるのである。

 

だから、貴方がそんなことして良いわけがないと感じた時ほど、怒って良い。

貴方はかつて感じ取った誰かの痛みを通して、

その行為というのが、誰かが酷く傷つくことになることを知っているのだから、

貴方は自分や他の人を守るためにも、怒るという形で、

そうした痛みに貴方と周りの人がはまらないように対処して良いのだから。

 

貴方がそう感じれるということは、貴方は自分も誰かも守れるということだから。

 

 

2.何しても、何言っても良いと思うなよ、という感覚を大切にして欲しい。

 

貴方が、誰かに否定され続けたり、いじめられ続けたときに、

何言っても、何やっても良いと思うなよ、と感じることがあるかもしれない。

そんな時、貴方はもしかしたら、自分はこうだからこのくらいやられて当然だと、

自分のことを強く責めることをしてしまうかもしれない。

 

だけど、そんな時は、自分のことを責めることをしなくて良い。

貴方が何しても、何言っても良いと思うなよと感じ取れるということは、

貴方はその人の行為が、

その人自身の欲求と楽しさなどに基づいたもので、

こちらの行動や意志を尊重したものでないというのを知っているということ。

 

だから、何しても、何言っても良いと思うなよと感じた時ほど、貴方は怒って良い。

貴方がその気持ちを通して怒ることで、

自分の行動と意志と、相手の楽しさと欲求とを切り離すことが可能になり、

貴方自身の行動と意志を貴方自身が認められるようになるのだから。

 

だからどうか、その気持ちを認めることを通して、

貴方自身の行動と意志というのを貴方が認めてあげて欲しいのです。

 

 

3.貴方の中の、どうせやられてもしょうがないよね、という諦めを大切にして欲しい。

 

貴方は、いじめられたり、誰かに中傷をされたりしたときに、

どこかで、どうせやられてもしょうがないよね、

と、自分の人生と自分の力の無さを責める形で諦めてしまうかもしれない。

だけど、貴方はどの形でも自分のことを責める必要はない。

 

貴方がどうせやられてもしょうがないよね、と感じれるということは、

過去に貴方と同じような立場を持っている人が、

同じような目にあい、同じような気持ちになったことを知っているのかもしれない。

だから、貴方は自分のことを責め、諦めてしまうのかもしれないが、

そんな時ほど、貴方はその、

どうせやられてもしょうがないよね、という感覚を大切にして欲しい。

 

貴方がその感覚を大切にすることで、

貴方は貴方と同じ立場で同じ気持ちになった人の隣に立つことに繋がり、

貴方はかつて、このような立場に立った人のことを救おうとしたことがある、

ということを知ることができるようになるのだから。

 

そうして、貴方がかつて今貴方が感じている誰かのことを救おうとしていた、

その愛を貴方自身が認めることで、

今度は貴方自身を救うための力に使って欲しい。

 

そうすることで、貴方は自身がそんな目に合うに相応しい存在ではないと知覚し、

貴方はその状況に対して怒ることで、乗り越えていくことが可能になるから。

だからどうか、貴方の過去の誰かを救おうとした愛を大切にして欲しい。

 

 

4.貴方の中の、自分のことは誰も見ていない、という孤独感を大切にして欲しい。

 

貴方は、誰かにいじめられたり、誰かに虐げられたりしたとき、

自分のことは誰も見ていない、という孤独感を感じることがあるかもしれない。

そして貴方は、だから誰も助けてくれないし、手を差し伸べてくれない、

それは自分には価値がないから、と自分のことを責めてしまうかもしれないが、

貴方は、どの形でも自分を責める必要はない。

 

貴方は、自分のことは誰も見ていない、と感じ取れるということは、

貴方がかつて愛した存在が、今の貴方と同じくらいの痛みを感じながらも、

貴方の助けを求める切望とは異なり、誰も助けに来ない、誰も救いに来ない、

そんな周りの人全てが、自分の愛する人を見捨てるような感覚を覚えたことがあるのかもしれない。

 

だとしたら、貴方は、自分のことは誰も見ていない、という孤独感を、

貴方自身が責めることなく、大切にして欲しいのです。

 

貴方がその感覚を大切にすることで、

過去に貴方の大切な人が見捨てられたと感じたことを思い出し、

それを思い出すことで、周りの人はその人のことを見捨てたかもしれないが、

貴方は同じ痛みを共有し、誰かの助けを切望するくらいに、

その人のことを愛し、助けようとした、貴方のその愛を認めれるはずだから。

 

そうして、その貴方のかつて誰かに向けた愛を、

今度は同じ痛みを抱えている、貴方自身に向けてあげて欲しいのです。

 

かつて、貴方が愛していた人の傷に心を痛め、

助けてもらえることを切望したように、

貴方のその姿と心に心を痛め、助けを切望している人は必ずいるから。

 

だから、貴方がかつての自身の愛を自分に向けることを通して、

かつての貴方と同じような愛を信じ、

貴方は一人ではないし、貴方はそんな目に合うに相応しくないと、

貴方自身がそう怒りながら表明する権利があることを認めてあげて欲しい。

 

かつて、貴方が愛していた人に救いの手が差し伸べられて欲しかったように、

貴方も周りの誰かから、救いの手が差し伸べられるように祈られているのだから。

 

 

5.貴方の中の、誰も自分の幸せと成功は望んでいない、という感覚を大切にして欲しい。

 

貴方は、誰かにいじめられたり、責められたりしている中で、

誰も自分の幸せや成功は望んでいない、と感じることがあるかもしれない。

そして、自分は才能もないし、実力もないし、他の人に比べて…と。

自分のことを貴方は、強く責めるのかもしれない。

 

だけど、貴方はそんな風に自分を責める必要はない。

貴方は過去に誰かの幸せと成功を強く願ったのかもしれないが、

そのとき、貴方が強く願った人物は、幸せや成功とは異なる道を進み、

また、その人に幸せや成功のための手が差し伸べられなかったことから、

貴方は、成功と幸せを手にできない人の要素を、その人を通して判断したのかもしれない。

 

だから貴方は、その相手が歩んだ道と同じ道を歩んでいるような自分を見て、

かつてその人物に下した判断と同じような判断を自分にしてしまうのかもしれない。

でも、貴方はそんな判断をして、自分のことを責める必要はない。

貴方は、貴方が感じた、誰も自分の幸せや成功は望んでいない、

という感覚を何よりも大切にして欲しい。

 

貴方のその感覚は、貴方が誰かの幸せや成功が、

貴方が期待した人から望まれなかったという現実を見たことを示しており、

またそれは、貴方が誰かの幸せと成功を望んでいたことを示している。

 

だからその感覚を大切にすることを通して、

貴方が誰かの幸せや成功を望んでいたことを認めてあげて欲しいのです。

貴方は、成功や幸せを望まれない人の理由として、自分の様々な部分を理由にあげるかもしれないが、

貴方はその要素と全く同じ要素を持つ誰かの幸せと成功を望み、

その人の成功と幸せを他の誰かも望むことを期待していたはずだ。

 

だから、貴方のその大きな愛を貴方自身が認めてあげて欲しいのです。

そうして、その愛を貴方自身に向けてあげて欲しいのです。

貴方がその愛を自分自身に向けた時、

貴方が幸せや成功を望まれない理由など、何一つないことに気付くでしょう。

 

貴方は、貴方が大切な誰かの幸せと成功を望んだように、

貴方の幸せと成功も、貴方を愛する人に望まれているのです。

だからどうかその思いを信じ受け取り、

貴方がそんな酷い目に合う存在ではないと、貴方自身が信じて欲しいのです。