全力で生きてきた母に伝えたいこと。
1.もうどうにもならない、と感じたかもしれない。
親が喧嘩をし、私の愛している母親が父親に虐げられ、責められ、
そんな状況を見ながら、悲痛な思いやどうにもならない思いを感じたとき、
自分の力ではどうにもすることができず、止める事もできず、
助けも来ないことから、もうどうにもならない、と諦めたかもしれない。
そんなとき母は、自分の愛する人は、不幸になるし、悲惨な目に合う。
そんな風に感じ、深い悲しみと絶望と、
そんな思いから、自分の愛というものが、誰かを不幸にし汚すように思えたのかもしれない。
自分の愛に自信が持てない中、またそんな痛みを持ちながらも生きてきた母。
必死に生きていく中で、様々な困難や挫折を体験したかもしれないが、
その痛みを持ちながら感じた、それぞれの体験はどれほどまでに過酷だったのか。
それを思うと胸が痛む。
けど、それ以上に、今日ここまで生きてきたこと。
家庭を持ち、子供を持ち、働き続けてきたことがどれだけ凄いことか。
この痛みを通すと、それが深く理解できる。
ここまで全力で生きてきた母に感謝すると共に、感謝したい。ありがとう。
2.誰か助けて欲しい、と感じたかもしれない。
一人、母の抱えた痛みを感じ、母の姿と言葉を通して伝わる、
その痛みを胸で感じるたびに、その痛みの強さと大きさに絶望し、
絶望するたびに、その痛みを自分が何とかする手段を持ち合わせてないことに気付き、誰か助けて欲しい、と感じたかもしれない。
母はそんなとき、
その絶望の深さは、誰からも愛されず、誰からも見放されるという思いに変わり、
そんな思いから、その痛みを隠すよう、
その痛みを少しでも感じさせるようなものを避け、弾き、
その痛みにもう触れないような、強い生き方をしようと思ったのかもしれない。
そんな痛みを抱えながらも、仕事と子育てと必死にしてきた母。
そんな母が息子が、引きこもりになり不登校になり、
他の人とは違う人生を歩んだとき、一体どれ程の痛みを感じただろうか。
そう思うと、母が僕のことを責めた気持ちも分かります。
それでも必死に支え、献身し、度々ブレながらでも、
応援し信じてくれた母は本当に凄いと思います。ありがとう。尊敬しています。
3.足を引っ張らないで欲しい、と感じたかもしれない。
母は、自分の心と痛みを見せてくる母親の姿を見る度に、痛みが誘発され、
自分の人生が邪魔されているような、
自分が今から進むところを批判、非難されているように感じ、
そんなとき、足を引っ張らないで欲しい、と感じたかもしれない。
そんなとき母は、自分が自分の生きたい人生を生きることを望まれてないように感じ、深い悲しみと孤独を感じたかもしれない。
そしてその望まれてないような悲しみは、
世界中のどんな人からも非難批判されてるような恐れに変わり、
遂には、私のそんな姿を望んでいる人はいないと、絶望のまま諦めたかもしれない。
どこかで自分の望むような人生を生きることを諦めてきた母。
僕が無謀な現実的ではない夢を掲げた時、母はどれ程の痛みを感じたでしょう。
今なら、母が僕を制止し、強く責めて文句を言った理由が分かります。
また、僕が母のことを足手まとい、弱い、などという暴言を通して、
母を人間扱いしなかったとき、母はどれ程の痛みを感じたでしょうか。
しかし、母はそんな僕の言葉を根に持つことよりも、
僕が引きこもって一人であることの方を気にすること、
またそこで痛みを感じることの方を優先させてくれた。
僕が対等に扱わなくても、僕のことを捨てるでも、
僕に対する愛情を断ち切るでもなく、
何を言ってもしても、変わらず愛情を注いでくれた母を心の底から尊敬します。
本当に母が母親でよかった。感謝しています。ありがとう。
4.私は愛されない、と感じているのかもしれない。
母は、母の好きなこと、楽しいことよりも、
母にとっての苦しいこと、悲しいことを優先させられた体験を通して、
私の好きなこと、楽しいことは誰にも望まれてないように感じ、
私は愛されていない、と感じたかもしれない。
母はそんなとき、自分の真ん中から自分が抜けてしまったような喪失感を感じ、
自分の源泉から喜びや愛が流れなくなり、
その流れは、誰と居ても満たされないような、
誰と居ても愛されてないような、
そんな得体の知れない不安に変わったのかもしれない。
母は自分が自分の好きなこと、楽しいことをして良いのか、
そんな答えを求めながら、ここまで人生を歩いてきたのかもしれません。
母にとって、息子である僕が、辛くて苦しい姿を見せているとき、
そのとき、母にとっては地獄のような時間だったでしょう。
この痛みを理解すると、それが良く分かります。
また、僕が子供の頃、母は父にたくさん責められていましたが、
そのとき、どれ程の痛みを感じ続けたのでしょうか。
この痛みの強さを感じると、子供に泣きつき助けを求めたのも理解できます。
そして、それでも母が変わらず、僕への愛情を離婚しない、食事を提供する、
などといった形で示してくれたのは、母なりの親としての責任感であり、
それは母の強さだったと理解します。
きっと、そんな形でしか愛を提供できないことに、
何度も胸を痛め、罪悪感を感じ、自分を母親失格だと罵倒したでしょう。
ただ僕は、これだけの苦しみ、痛みを感じながらも、
僕に変わらず愛を注いでくれた母のことを何よりも尊敬しています。
そして何よりも最高の母親です。ありがとう。感謝しています。