コンビニの自動ドアから学ぶ。情報取得の大切さ。

読んでいる方の殆どは、コンビニに行ったことがあると思います。コンビニはお手軽で、品揃えも豊富ですし、小腹が空いた時にも適している。凄く便利ですよね。


ただそんなコンビニの自動ドアに着目された方というのは、あまり居ないと思います。ドアの前に立てば勝手に開いてくれますから。ストレスも無いですしね。


しかし、今回はその、あまり着目されない自動ドアを巡るお話は、人狼の場面でも生きてくるのだよというお話をしたいと思います。


さて。まずは、コンビニの自動ドアの前に立った時のことをイメージしてみてください。恐らく、この自動ドアってよく出来てるなーとか。この自動ドアって親切だよなぁとは思わないと思います。大抵、腹減ったなぁとか。今日はコンビニでシャンプー買おうとかそんな感じだと思います。


大抵、自動ドアに感情移入したり、評価したりってのはないと思います。


じゃあ次は、自動ドアが開かなかった時のことをイメージしてみてください。自動ドアが開かなかった経験がない方は、想像で浮かべてみてください。僕は自動ドアが開かなくて、頭をぶつけたことはありますけどね!


まあそれは良いとして…。

自動ドアが開かない時というのは、大抵ストレスを感じると思います。何だよ開かねぇのかよとか。ここで開かなかったら、後ろの人に迷惑をかけるじゃないかとか。大抵、苛立ったり申し訳なくなると思います。


まあ不思議なものですよね。開く開かないの問題なのに、開くか開かないかで、反応っていうのが大きく違ってくるんですから。


じゃあ何故、このような反応の違いがでてくるのでしょうか。それは簡単に言えば、自動ドアに関してどんな情報を取得してるかです。


一番最初にイメージしていただいた、自動ドアが開いてくれた時、恐らくストレスは何も感じなかったはずです。そりゃそうですよね。自動ドアっていうのは、目の前に立てば勝手に開いてくれるものですから。自動ドアは目の前に立てば開いてくれる、という認識と自動ドアとの間にズレがないわけです。


対して二番目にイメージした、自動ドアが開かない場合はどうでしょうか?本来、目の前に立てば開いてくれるはずの、自動ドアが開いてくれなかったわけです。この時は、自分の認識と自動ドアの前にズレが生じますよね。


だって、自分は自動ドアというものは、いつでも目の前に立てば、開くものだと認識しているんですから。


ということは、自分の認識していることと、実際の現実にズレがあった時に、人はストレスなどを感じたりするみたいです。


さて。少し分かりにくいかもしれないので、もう少し別の例を上げてみます。手動ドアの場合はどうでしょう?手動ドアを開けるシーンをイメージして頂きたいです。


どうでしょうか?何でここは自動ドアじゃないんだよとは思うかもしれません。しかし、何で目の前に立っても、自動で開いてくれないんだよとは思わないはずです。だって、手動ドアにはドアを開ける取っ手が付いてますからね。


としたら、もし自動ドアが開かない時の理由というのを知っていたら、自動ドアに対して怒りを感じないかもしれません。自動ドアの開かない理由が例えばセンサーが作動していないからだとしたら。


私には、センサーが作動してくれないんだなと悲しくなるかもしれません。でも、何でこの自動ドアは自動で開いてくれないんだよとは思わないと思うんですよね。自動ドアには開かない理由があることを知ってますから。


さて、長くなってきましたが、これを人狼の事例に当てはまるとどうなるでしょう。人狼の場面では多く議論で対立することが多いです。しかし、自動ドアと同じように、人にもそれぞれ固有の情報があるわけです。


しかしその固有の情報を自動ドアの時のように見逃して、対話したらどうなると思いますか?私はそんなことできないのに、そんなことを言うなよ!っていう反応になると思います。だって、私には私のペースと考え方があるんだからって話になりますから。


まあ総括しますと、自動ドアの時のように当たり前だからという理由で容易に判断すると、認識の齟齬が生まれます。それが自動ドアのような何気ないことなら良いでしょう。しかし、それが人との関係だったり、重要な場面での判断だとしたら?


取り替えしのつかないことになってしまう可能性もあると思います。まあ脅すような感じになってしまいましたが、そこまで焦るようなことではないんですよね。


自動ドアの時もそうですけど、開かないことを知って、その時に自動ドアに対して興味を持ったから、自動ドアの開かない理由というのを知れました。それと同じように、人狼でも対話での齟齬が生まれる度に、ただ修正していけば良いんです。


勿論、自分の判断を覆して新しいことに興味を抱くのは勇気のいることだと思います。怒りとか悲しみとか、そういう判断をより強固にしているものを超えていく必要があると思います。でも、その失敗の積み重ねが、相手を知るということに繋がっていくということを、今回はお伝えできればなと思います。


今回もお読みいただきありがとうございました。