嫌がらせを優しさに変えるには。

そそっかしいことに定評のある作者です。どうも。昔ですね、よくそそっかしいことで怒られたりしたんですよ。箸有るじゃないですか。あれ、食事中によく落としませんでした?僕はしょっちゅう箸を落としてたんですよ。いやあれね、触れるだけで落ちるんですよ本当に。厄介なものです。接着剤でも付いてくれれば良いのにって何度思ったことか。まあ接着剤を付けるとご飯は食べれないんですけどね。

 

それだけならまだ良いんですよ。落ちた箸を洗いに行けば良いだけですからね。しかし、箸を落とすと怒られるんですよ。やれ携帯を弄ってるのが悪いだの。テレビを見てるのが悪いだの。しっかり箸を見てないのが悪いだの。いや箸を落としただけじゃないか笑って内心思いながらも、どうやら怒る当人にとっては、箸を落としたことはそれだけ重大なことみたいです。

 

しかしそんな風に重大に捉えられれば、こっちも黙っていません。箸を落としたことで責めてくるなら、リモコンを落とした時に思いっきり責めてやろうとか、考えたりするわけです。小さなことに対する怒りは、小さなことに対する怒りでこちらも返してやろう!っていう魂胆なわけなのです。

 

が、できればこちらも穏便に済ませたいものです。リモコンに怒ってるようじゃ、本を落とした時にも怒らなくてはなりませんからね。そんな、小賢しい怒りはできれば続けたくはないのです。しかしそんな鬼姑のような、発想というのはどこから出てきてしまったのでしょうか。箸に接着剤を付けたい気持ちからでしょうか。いやいや、そんなわけはありません。接着剤を付けたい気持ちが、鬼姑のような発想になるなんてそんな馬鹿なってお話です。

 

としたら、箸を落としたことを重大なこととして扱われてしまったからでしょうか。いやいや、そんなわけありません…というわけでも無さそうです。僕にとっては、箸を落とすってことはそれほど重要なことではないのです。少々汚かったり、マナーに欠けるかもしれませんが、洗えば良いのですから。でもそんな大したことないと感じたことを、重大なこととして扱われてしまいました。これはもう由々しき事態です。だって大したことないと感じてることを重大なこととして扱われたんですから。僕はそれをマナーに欠けているという趣旨を伝えてきたと受け取りますよ!侮辱です!僕が全世界の人にマナーが悪いと言われてしまった気分です!

 

過剰な捉え方に思えるかもしれません。が、相手の怒りを間に受けてしまう時ってのは得てしてこんな気分になってしまいます。本当に難儀なものです。これでは、人と人とでコミュニケーションが取れないでありませんか。それじゃあ、楽しい食事の時間が楽しくなくなるばかりか、怒ってきた相手との仲も拗れそうです。

 

さて。僕は相手の注意を侮辱として捉えてしまいました。でも、相手は本当は怒りを通して、僕に何を伝えたかったのでしょうか。もしかしたら、マナーがないことを指摘してきたのかもしれません。もしくは不注意を指摘してきたのかもしれません。まあどちらにせよ、侮辱であることには変わりませんね。自分にとっては箸を落とすことはマナーが悪いことにも、不注意なことに接触しませんから。

 

おや?待てよ…。でもそうだとしたら、相手は何で箸を落とすことをそんな重大なことだっていう風に捉えるのだ?たかが箸。されど箸?なら天ぷら食いたい。おっと失礼。欲望が出てしまいました。天ぷら食べたいんですけどね。もしかしたら、相手にとって箸を落とすことは重大だったのかもしれません。でも、箸を落とすことが重大?そんなの股間のファスナーが開いてるのに、笑顔で女性にナンパするようなものじゃないですか!自分にとっての重大なことと、相手が最初に注目する部分とで勘違いが生まれてますよ!

 

とか何とか言いたくなる気持ちを置いといて、さっと開いていたファスナーを閉めますね。すると、相手は箸を落とすことがマナーがないことと、結び付けてしまう体験があったのかもしれません。例えば、幼い頃に箸を落とすことを徹底的に否定されたとか。箸を落とさないことが大人の嗜みよと教えられたとか。もしその教えが今も心の中で根付いているとしたら、箸を落とすことは未だに相手にとっては重大なことなのかもしれません。

 

でもこのようなことが自分にもあるはずです。人のふり見て我がふり直せとよく言いますが、自分も相手に箸が落とすことは大したことないというのが伝わってると勘違いをしていたはずです。だから侮辱と捉えてしまったはずです。でも、実際のところ相手には自分の認識っていうのは伝わってなかった。ってことは、相手は侮辱したわけではなかったんです。ただ自分の経験を通して、自分が注意されたように注意しただけだったんですよね。

 

人と話せば、すれ違うのは当たり前です。誰しもが同じ注意をされて生きてきたわけではないですから。でも自分もそうですが、人と会話すると多くの場面で自分のことをどこかで相手は分かっていると思って話してしまいます。実際はそうではないんですけどね。クーポンは使える場所が限られているように、人も理解できる範囲っていうのはその時その時で違うんです。勿論、人はクーポンのように理解できる場所が、見えるところに明記されてるわけではありません。

 

でもクーポンも使える場所を理解して、正しい割引されてくれるように。人も、相手の理解できない事情を理解しないことには、相手に合わせた会話をしてあげることっていうのはできないのです。僕も書いていて、できない部分はたくさんあるなと感じています。認識のすれ違いが起きていると感じても、怒りが湧いてくることはたくさんあります。ただ怒ってしまうのは自分と相手とですれ違っているんだっていう風に思えると、少し相手のことを許してみようかなと思えたりします。

 

そしたらちょっと嫌がらせをやめてみようかなとか。優しくしてみようかなって、ちょっとずつ思えたりもします。今回は、相手のことをわかる大切さをお伝えすることができたらなと思います。

 

今回もお読みいただきありがとうございました。