放埓に書き出す〜。

破壊的な部分から何度か入って思ったのは、

結局俺は心の底では親父もいじめっこも愛してたんだなということ。

 

毎度入るときは、相手のぶつけてきたエネルギーに対して同じエネルギーをぶつける形で入っていく。もしくは、それを上回る力で入っていく。

 

でもそこで入っていって、その力や怒りなどを認められない自分とさようならをするとき、大抵、どうしてそのエネルギーをぶつけても、いじめてくるんだよ?上から押しつぶしてくるんだよ、といったような思いが溢れてきた。

 

要は、俺は怒ってたし復讐もしたかったけど、

それを受け入れてもらえないこと、そこに降参してくれないことに、ずっとずっと悲しさや怒りを抱いていたのだろうなと。

 

そうした気持ちは今の自分に影響を与えていたのにも気づいた。

自分にもできることがあるということを認めてもらえない葛藤を抱えているとき、自分の感じたことを伝えられない自分。また、楽しい嬉しいといった感情を目一杯感じることに許可を出さない自分を感じていた。

 

自分に対してできるということ、力があるということが、押さえつけられたことで認められなかったので、誰かに大きく影響を及ぼしたり、誰かを動かしたりする感覚やイメージに差し掛かると、恐れを感じるようになっていた。

 

 

もう一つ、自分の計画した内容に邪魔をされたり、また自分が主体となって動いたことが原因でいじめられたりした経験があるとき。

自分が主体となって動くことに明らかに怖さを感じていた。

というか、相手の会話を聞くことに対しても影響が出ていた。

相手の話を聞いて整理して理解するということは、どこかで相手と自分との間で対立が生じるであろう場面を理解するということ。

 

 

 

つまり、それを知るということは、自分にとってはいじめられた過去を思い出すことであり、相手に力で屈服させられた惨めな時を思い出すということ。

だから、人の話が頭に入ってこなかったり、

人と直接話してる時だけにおいて、相手の言葉が頭に入ってこなかったり整理できたりしない自分がよく居た。だから、よく何を言えば良いのかわからない、相手が何を話してるのかわからないと感じることが多かった。

 

無意識に、自分と相手の対立が生まれるであろう可能性を感じないようにしてたんだろうなと。だから、人と話すのも怖かったし、聞くのも怖かったんだろうな。

話を整理できる自信は練習してしたからそれなりにあるのに、対面になると整理できない自分がよく顔を出す。だから、人が怖かったんだ。

文面での会話に関しても、いつも怖さを感じていた。

その理由はこれだったのかなと。

まさか、こんな形で今の自分に影響を及ぼしてるとは思いもしなかった。

 

 

こうして、自分の欲求が満たされなかったことを理解した後、

その時の辛さや悲しさをひたすら聞くということを繰り返したのだけど、

最終的に出てくるのは、結局彼らに対する愛だった。

 

いじめっ子に対しては仲が良かったし、君らなら喜んだら笑ったりしてくれると思ったからやったんだよと。

でも良い風に捉えられなかったよねと。

でも、そうだとしても自分はここに自分と君達との幸せを感じるから、ここのやりたいという感覚を僕は貫くよって。

 

そうしてそこと繋がって、俺は本当に彼らが好きだったし愛したかったんだなという気持ちとイメージがあることに気付いた。

この思いさえあれば、別にいじめられても良かったんだなと。

勿論、怖さはまだある。だからもう少し深いところもあるんだろうなと。

 

 

父の場合は、やっぱり最初は怒りが強かった。

なんで、認めてくれないんだって、なんでこんなことするんだって。

でもやがて、悲しさに入った。受け入れて欲しかった、自分が父のためを思ってやったことを、自分は父にとってこれが必要だと思ったからやったんだよと。

 

でも、やっぱり自信の無さや自己嫌悪は感じた。

自分がダメなんだって思った、自分が間違ってるって思った、自分なんかがこんなことを貴方にしてはいけないんじゃないかって思った。

でもそのあとに結局待っていたのは、やっぱり父が好きだっていう気持ち。

また、父はここが問題でここをなんとかした方が良いと自分は感じたから、

僕がなんとかしてあげようって、僕がなんとかすることが使命だって。

 

だから、そこに色々言われたりするのは悲しいし辛いけれども、

これが僕の使命ならば、与え続けて父をもっと自由に、そして幸せにするという形で貫いていくよって。そう思えれば、別に何をされても良いって。

何をされたとしても、その意思を貫いたという思いだけは残したいと思った。

 

 

結局思ったのは、何をされたらとか何を言われるとかあまり関係ないんだなと。

同時に、自分が居ようが居まいがどちらでも良いんだなと。

ただ自分の中の相手の幸せや喜びを願う気持ちを信じ貫き、

それをただ残すということだけが必要なんだなと。

 

信じ貫いた気持ちは事実となり、その人の心に残るだろうから、

そこで相手に対して、本当に大きな影響を与えるはず。

自分の使命はこれで、これさえできれば良いのかもしれないといった気持ちがある。

なんか、宗教臭くなってきたな笑。あんま宗教好きじゃないんだけどなぁ。

 

でも、最近思うけど、一ミリでも不安があれば、それは相手に必ず伝わるなって。

多分、文章にしても直接的な言葉にしても、

自分と相手の感じていることは、どこかで伝わってしまうものだと思う。

だから、自分かどうなろうとも、これを伝えたあとに死んだとしても、

ただただ相手にこの気持ちを伝える、という強い覚悟をはらんだ気持ちが重要なんだなって。絶対にその思いは、相手に伝わるはずだろうし。

 

 

でも良かったなぁ。こういう結論に落ち着くんだなぁと。

あとはなんか、ここまでくるともう全てが自由だなって。

もう発想を自由にして全部表現して良いなぁって。

やりたいこと本当にある。願えば叶うからとにかく書き出そう笑。

 

・心理学と漫画やアニメを絡めた記事を書く。

・ユーモアのセンスをめちゃくちゃ磨く。

・その上で言葉を巧みに使って、ユーモアで表現する。

・デートスポットやデートを妄想して、それを書く。そうして、現実的な場所も含めた記事も書けるだろうし、そしたら確実に面白い。

・そうすると、カフェやら食事処や様々なことも紹介できるはず。これもやる。好きだから。

・あとはー、サッカーもそろそろ始める。そして体の動作の解説もしたいし、戦術や戦略の解説もしていきたいなぁ。これもやる。

・あとは、女性芸能人を褒めるとかもめっちゃ楽しそう。これもやる。

 

まだありそうだけど、とりあえずはこのくらいかなぁ。

明日はじゃあ何を表現していくか?

何に主体性を持っていくか?というテーマで癒しを進めたいなぁ。

このペースだと明日かなり良いとこまで行けそうだけど。

 

なんかめっちゃ楽しみだなー!やばいなぁ。本当に楽しい笑。