行動を変える、自己分析の仕方。
こんばんは。
今回は、いつもと主題を変えて、僕がいつもやってる自己分析の仕方について、書いていきたいなと思います。
まあ、自己分析といっても、セラピー的なものに近いんですけどね。
今回は、早速、本題に入りたいと思います。
僕が今やってるのは、自己表現や自分らしさに許可を出す、というのを主題にした、セラピー的なものです。
やり方としては、(あ、ノートとシャーペンかなんかが必要です)
まず、こうされても嬉しくないな、っていうことを書きます。
例とするなら、僕は君のやり方は間違ってると言われても嬉しいと思えない人間です、といった形で書く形です。
次に、じゃあ、どうして嬉しくないのか?というのを書いていきます。
僕だったら、そんなことを言われても、自分のためにならないし、何か、自分の人生を否定された感じがするな、と書きます。
ここでは、言われた時に感じる嫌な気持ちをちゃんと書くことがコツです。
次に、けれど、自分はその人にとっては必要じゃないかも、その人にとってはダメだったのかも、というような思いを書きます。自分の、罪悪感やダメだなって感じる気持ちに、正しさややり方を超えて、正直になる形ですね。
僕だったら、けれども、そんな否定された感じがするとか思ってしまう自分は、相手にとってみれば、すごく不快かも。こんな風に、不快にさせてしまうようなことを思ってしまう、自分って最低で、本当にダメだなー、的な感じで。
そしたら、次に、どうして嬉しくないのか?で書いた部分で、感じられる良いところを直感的に上げていきます。
僕だったら、自分のためにならないってことが分かってるってことは、軸があるし、何をすれば自分のためになるのか分かってる。それに人生を否定された感じが分かるということは、自分が何をすれば何を感じれば、肯定された人生を感じるのかを本質的に分かっている、それくらい、自分のことが本当はよく分かってる、的な形で。
次に、そんな才能があるのに、普段、自分はこうしてしまう、こういった気持ちを優先させてしまう、といったことを書いていきます。
僕だったら、相手が否定された感じにならないように、いつも、否定された気持ちとかに正直になれなかったり、相手がすんごくショックを受けたりして、立ち直れなくなってしまう、とかにしてしまい、自分のことをよく分かってる、分かってるからこそその気持ちに準じて行動するという才能を使わないように生きている、といったような感じで。
最後に、相手のことをそんなに考えて自分の才能を使わない、選択をしたり、人生を生きていったりするほどに、その人のことと自分のことが大好きで、大切なんだね。という風に書いて、終わりです。
まあ、こんな感じですかね。
次に、なぜこうするのか?といったことを説明したいと思います。
まずは、一番目について。
なぜ、嬉しくなかったことを引き出すのかというと、人の行動には必ず愛があるからです。例えば、嫌味を言うとか、攻撃するとか、そうしたことって、大抵相手に何かしらの価値を見てないと出来ないですよね。
もちろん、そんなの愛ではないと思うでしょうが、心の奥深くでは、それが実は愛からきているということを知っているんですよね。
だからこそ、愛を受け取れてないところには必ず罪悪感が生じる。
例え、それがどういう行為であったとしても、感じてしまうんですよね。
すると、必ず執着するんですよ。あいつが悪い!といったような気持ちに。
そうなると、被害者意識に陥り、その部分での主体性が消えてしまうんですよね。
なので、まずは、愛を受け取れてない、被害者意識に陥ってる部分を引き出す目的として、嬉しくないところを引き出していきます。
次に二番目。どうして、それが嬉しくないのか?を書く理由です。
ここは自分が本当に持っている主体的な才能を引き出す目的です。
だいたい、ここで書かれる思いというのは、拒絶とか、断るとか、相手の気持ちよりも私の気持ちを最優先した行動になることが多いです。
つまり、その自分の気持ちを優先させられる、自分の才能に目を向けてみましょう、という目的があります。
あとは、ここで書かれた才能というのは、大抵、自分では自覚していないとか、そんなことできるわけがない、と思ってることが非常に多いと思います。
ここについては、あとで詳しく書きます。
まあ心理学用語で言えば、問題の裏には才能がある、という概念です。
次に三番目。ここで罪悪感やダメだった自分を、なぜ書くのか?についてです。
これは、潜在的な罪悪感や無価値感を引き出すためです。
というものの、罪悪感や無価値感といった感情は、自分らしさを表現しない、形として行動として現れてしまうのですよね。
これはなぜかというと、人は人を愛したい生き物なので、愛せなかった時に、必ず罪悪感や無価値感を感じるものなのです。だからこそ、同時に、受け取れなかったことにも罪悪感や無価値感を感じるようになってるんですよね。
なので、一旦、深いところの罪悪感とか無価値観を認識しないと、自分らしさを表現することにオッケーが出せないんですよね。
無価値観や罪悪感があると、必ず、自己表現に対して、本当にマイナスなイメージが付きますから。一旦、私はダメで、悪いやつなんだ、っていうことを認めることが、本当に大事になります。
心理学用語で言えば、サレンダーですね。
私はあなたに何もできません、本当にダメでどうしようもないやつです、といったように全面降伏する感じです。
ここに入って、初めて自分が認識してなかった愛が入ってきます。
次に四番目。どうして良いところを上げるのか?についてです。
これは、罪悪感や無価値感となってる部分を、俯瞰的に見るためです。
どういうことなのかというと、私は問題だと思っていたところに対して、違う解決方法を知ってますよ。また、その問題がなかったら、自分はこんな人生を歩んでましたよ。といった形で、自分は本当はこういう選択ができて、こういう人生を歩めたんだ、というのを自分の中で認識するためです。
こうすることで、違う自己イメージが出来上がるんですよね。
もちろんこれは、自分のダメな部分や悪い部分を認められたからこそ、出来上がる部分でもありますが。
自分は本当はここに罪悪感を抱いていて、自分のここがダメだったんだと、正しく気付けると、違うイメージも素直に受け取りやすくなるんですよね。
これは、ダメだった部分や悪い部分というのと、良い部分というのは感覚的にセットだからです。
ここで感覚的には、再誕生の層だと思います。
あ、私今まで自分はこうだと思ってたけどま、本当はこんなことできたんだ、っていうような感覚だと思います。ただ、まだモヤモヤは残っていると思います。
次に五番目。なぜ、こうしてしまった、相手のここを優先させてしまった、といった後悔や懺悔のような気持ちを書くのか?についてです。
これは、自分の中の、愛と繋がるためです。
どういった気持ちで、自分は相手を優先したのか。
どういったことを危惧して、自分は自分を表現しなかったのか。
自分の中の罪悪感や無価値感の持つ、愛に触れていきます。
こうすることで、自己表現といったものをする以上に、自分は大切なことがあったんだ。自分はこんな形で人のことを愛していたんだと、気付くことができます。
そうすると、自分は誰かを愛していなかったわけではなかったんだな、救えていなかったわけではなかったんだな。ということは、自分はダメではないし、悪いわけではない、といった気持ちに向かいます。
これはなぜかというと、自分の本当の気持ち。つまり罪悪感や無価値感を超えた先にある、愛と繋がったことで、その愛を自由に使えるようになったからです。
要は、罪悪感や無価値感を抱える形で愛を表現するのを卒業した、という形です。
そうすると選択肢が広がるので、私はダメだったという思考に入らなくなります。
またそれだけでなく、自分はダメでもなかったし悪いわけでもなかったので、自分を表現することにも抵抗がなくなっていきます。だって、自己表現しなかったのは、誰かを救い、助けるためだったんですからね。
だからここでの文言は、自分の持ってる才能以上に、大切なことがあったということに気付く目的もあります。これに気付けると、こういった時は、自己表現とは違う選択をとって、そうでない時はこうしよう。と主体性が戻りますから。
次に、最後の、大好きだったんだ等々と書く理由ですが。
これは意識的に、自分の本質的な愛に触れるためです。
要は、主体的にそうだったんだなと落とし込む形ですかね。
こうやって書くことで、大好きだったんだという事実から、なぜそうなのか?と理由を探し始めますので、今まで書いた理由が腑に落ちやすいんですよね。
そうして腑に落ちると、なぜか、自分の世界が変わってるとかになります。
といった感じですかね。
まあ簡潔にまとめれば、ダメだったと感じる誤解を解いて、自分の本当の愛に気づき、自己表現を自由に主体的にしましょうよ、といった形です。
ただ、いくつか注意点があります。
多分、このセラピー、相当しんどいです。
深いところにある罪悪感や無価値感を扱っていくので。
なので、やってる途中に、相当、気持ち的に落ちるはずです。
だから書いておいてなんですが、あまりオススメできません。
ずっと自分と向き合ってきた自分でも、これは相当にしんどいです。
だってお前が悪い!と思ってるところを自分が悪いに変えて、お前がダメなんだろう!と思ってるところを、自分がダメなんだなに変えるわけですから。
というわけで、こういうやり方やこういう理論もあるよ、とか、
こういった変なことをやってるやつもいるよー、といった形で思っていただければなと思います。
まあ、そのうち、もっと楽なやつとか、もっと単純なやつとかを書いていけたらなと思います。
今回もお読みいただきありがとうございます