価値の差別化を、ちゃんと行う。

人狼において、価値の差別化を行うのは非常に重要だと感じる。

強者弱者という概念もそうだが、どの情報が重要なのか仕分ける能力も大切となる。

 

こうした価値を軸に仕分ける能力というのは、私にはそれだけの価値はないという無価値観と、価値を見れなくて申し訳ないという罪悪感がぶつかり合う部分である。

故に繊細な人ほど、この仕分けるということに対して嫌悪感と抵抗感を抱く。

僕もどちらかというと、その口である。

 

しかし、世の中の多くは仕分けるという男性的なエネルギーを軸にして展開している。

論理的思考、分析、行動、決断等々。

感情という曖昧なものを省き、とにかく事実を大切にする。

 

コミュニケーションにおいても、感情という曖昧なものを省いた時、

何に価値があるか?何が重要か?という目線を持つことは非常に重要となる。

 

物事を思い通りに動かしたり、相手の中でしっかりと事実を共有するには、この曖昧なものを省いていく視点というのは必要不可欠になってくる。

なので、人狼においても特にその能力が重要視されてくる。

 

 

では、その仕分けはどのように行っていけば良いのだろうか。

まず何が大事か?何が大切か?というのを分かる必要がある。

そしてそれを分かるには、「嫌」という感覚を大切にしていく必要がある。

 

基本的に、物事を思い通りにしたいという、思い通りにならないのは嫌だという発想から、価値や重要なものを仕分けようとする。

つまり、勝負において弱者が嫌であれば強者である必要がある。

 

ではなぜ弱者が嫌なのか?と問えば、弱者であると負けるからである。

そうして負けるのが嫌なものは、強者になろうとするし、

負けるのも弱者も嫌なのだから、強者や勝つことに価値を置くだろう。

 

そうすると、弱者は虐げるだろうし、

弱者を省いた形で、戦略を立てていくことになるはずである。

 

具体的に例をあげれば、単騎で戦況を変えれないものは、とりあえず駒にでもなってくれといったような、人間を人間と扱わない合理的な発想になるはずである。

 

ここまではあくまで一例。

次はちょっと違った角度から書いていこうと思う。

 

 

3人で一つのケーキを食べたいとする。

この時、3等分にするのと4等分にするのとでは、どちらが平等だろう?

と、問われれば、3等分が適切な答えになるだろう。

1人、1人に同じ量のケーキが与えられるからである。

 

しかし、1人1人が最高に満足する場合、何等分にすれば良いだろう?

と問われた場合、3等分にすることが必ずしも正解ではなくなる。

もしかしたら、食べたくない気分な人もいるかもしれない。

誰かに食べてもらうことで、満足する人もいるかもしれない。

 

人の欲求充足は違うので、どれが正解かは人によってくる。

という形で、与えることを前提にして与えるのが、男性的な部分であり、

可能性を考えて、満足させるかを重点的に考えるのが、

女性性的な部分なのかなと感じる。

 

つまり、物事を仕分けるときというのは、人がどう感じるか?

というのはおいておいて、どう与えるか?というのを、

自分の嫌な感覚を軸に考えていくことなのかなと感じる。