過去にいじめをしていた貴方へ。

 

1.人生を壊された、と感じたかもしれない。

 

貴方は、自分の気持ちを踏みにじられたとき、

一生、いじめや暴力を振るわれるような、

一生自分の中の汚点と感じるようなことをされたときに、

人生を壊された、という風に感じたかもしれない。

 

そんなとき、貴方は、何で自分がこんな目に合わなかないけないんだと、

強く強く怒りを感じ、同時に自分の不甲斐なさを責め、

自分のこれからの人生に深く絶望したときがあったのかもしれない。

 

だから今日、僕がこれを見ている貴方に、

貴方がされたことが貴方の汚点になることはないし、

貴方はもっと素晴らしい人生を生きていくことができるという言葉を贈りたい。

また、僕は、貴方のその自分の人生を輝かしいものにしたい、

という意思と希望を今信じる。貴方ならできると、信じる。

 

 

2.もっと楽しいことをしたい、と感じたかもしれない。

 

貴方は、自分の好きなこと、楽しいと感じることをさせてもらえずに、

貴方が嫌だなと感じることをされているとき。

また、自分が心の中で強い憎しみと恨みにはまっているとき、

もっと楽しいことをしたい、と感じたかもしれない。

 

そんなとき、貴方は、 自分の本当の気持ちが分かってもらえない深い悲しみに沈み、

自分の本当のやりたいことを何があろうできない自分のことを、

深く深く責め、自分の人生には未来はない、と諦めたくなったかもしれない。

 

だから今日、これを見ている貴方に、

貴方なら自分の本当に好きなこと、楽しいことを、

貴方自身の人生で手にしていけると、僕が貴方のことを信じる。

貴方の心が本当に喜ぶ、その貴方にしか知らない何かには、

貴方と貴方の周りの人を、たくさん喜ばせる力があることを僕が信じる。

だから、自分の本当に望むもののために、突き進んで欲しい。

 

 

3.自分は人生の敗者だ、と感じたかもしれない。

 

貴方は誰かに殴られ続けたとき、誰かに自分の生命を帯びやかされたとき。

そして、そんな貴方の状況に対して、誰も手を差し伸べてくれないとき、

貴方は、人生の敗者だ、という風に感じたかもしれない。

 

貴方はそんなとき、どんなに辛くても、どんなに悲しくても、

誰も助けてくれず、貴方に手を差し伸べてくれないことに、

貴方は深い深い絶望と孤独を感じたかもしれない。

また、貴方は誰も味方になってくれないという感覚から、

自分の人生には光が希望はない。そんな深い絶望を感じたかもしれない。

 

だから今日、これを見ている貴方に、

貴方の人生には希望と光だらけだ、という言葉を贈りたい。

貴方のその痛みや、貴方のその姿を見た人の多くが、どれだけ貴方に希望と光を伝えたいか、それをまずは僕がここで言葉を通して伝えたい。

そして、貴方ならその痛みをバネに、自分の人生を切り開けると信じる。

 

 

4.俺は何で抗えない、と感じたかもしれない。

 

貴方は、誰かに殴られ、痛めつけられ、敗者になり続けているとき。

また、貴方の幸せや成功を願ってくれている人の期待を裏切り、

敗者や被害者になり続けているとき、

貴方は何で抗えない。そう感じたかもしれない。

 

そんなとき貴方は、自分が不甲斐なくて不甲斐なくて、

自分の人生の全てを壊したい、そんな思いや衝動に襲われたかもしれない。

また、悔しすぎて仕方がなく、自分の人生も誰かの人生も全て無意味に感じ、

貴方の中から、喜びや楽しさというのは無くなったと感じたかもしれない。

 

だから今日、これを見ている貴方に、

貴方は自分の人生を生きていけるし、貴方は貴方の幸せや成功を願ってくれている人の思いに応えて、貴方らしく生きていける、そんな言葉を贈りたい。

そして、貴方ならそんな状況からでも這い上がることができ、

貴方は貴方にとっての本当の喜びと幸せを手にできると、俺が信じる。

 

 

5.俺にも俺の気持ちがある、と感じたかもしれない。

 

貴方は、体の痛みを感じたとき、惨めな目にあっていると感じたとき。

また、自分の好きなことが、誰かのせいでできないと感じたとき、

貴方は俺にも俺の気持ちがある、と感じたかもしれない。

 

そんなとき貴方は、自分の人生は何なんだという、深い虚無感に襲われたり、

自分があの日見た夢と希望がもう叶わないことに、深い悲しみを感じ、

貴方は自分の死すらも、考えたかもしれない。

 

だから今日、これを見ている貴方に、

貴方の人生も可能性もこんなものじゃない。貴方は自分の人生を自分の生きたいように生きれる力がある、という言葉を贈りたい。

そして、貴方がいつか描いた純粋な夢を、

貴方は必ず叶えることができると俺が信じ続ける。

被害者になったときに、怒ることができない貴方へ。

 

 

1.貴方の中の、そんなことして良いわけがない、という正しさを大切にして欲しい。

 

貴方は、誰かに責められたり、いじめられたりしたときに、

そんなことして良いわけがない、と感じることがあるかもしれない。

しかし貴方は、もしかしたら、そう感じた気持ちを、

いや何かができてない自分が悪いと自分のことを責めることで、

そう感じた気持ちを否定するのかもしれない。

 

でもそんな時は、そう自分のことを責めることはしなくて良い。

貴方がそんなことして良いわけがない、と感じれるということは、

貴方はその行為で、誰かが傷つくということや誰かの人生が壊れるということを知っているということであり、

それは、貴方がかつて同じような目に遭って傷ついた誰かの痛みや気持ちに触れることができたからこそ、そう感じれるのである。

 

だから、貴方がそんなことして良いわけがないと感じた時ほど、怒って良い。

貴方はかつて感じ取った誰かの痛みを通して、

その行為というのが、誰かが酷く傷つくことになることを知っているのだから、

貴方は自分や他の人を守るためにも、怒るという形で、

そうした痛みに貴方と周りの人がはまらないように対処して良いのだから。

 

貴方がそう感じれるということは、貴方は自分も誰かも守れるということだから。

 

 

2.何しても、何言っても良いと思うなよ、という感覚を大切にして欲しい。

 

貴方が、誰かに否定され続けたり、いじめられ続けたときに、

何言っても、何やっても良いと思うなよ、と感じることがあるかもしれない。

そんな時、貴方はもしかしたら、自分はこうだからこのくらいやられて当然だと、

自分のことを強く責めることをしてしまうかもしれない。

 

だけど、そんな時は、自分のことを責めることをしなくて良い。

貴方が何しても、何言っても良いと思うなよと感じ取れるということは、

貴方はその人の行為が、

その人自身の欲求と楽しさなどに基づいたもので、

こちらの行動や意志を尊重したものでないというのを知っているということ。

 

だから、何しても、何言っても良いと思うなよと感じた時ほど、貴方は怒って良い。

貴方がその気持ちを通して怒ることで、

自分の行動と意志と、相手の楽しさと欲求とを切り離すことが可能になり、

貴方自身の行動と意志を貴方自身が認められるようになるのだから。

 

だからどうか、その気持ちを認めることを通して、

貴方自身の行動と意志というのを貴方が認めてあげて欲しいのです。

 

 

3.貴方の中の、どうせやられてもしょうがないよね、という諦めを大切にして欲しい。

 

貴方は、いじめられたり、誰かに中傷をされたりしたときに、

どこかで、どうせやられてもしょうがないよね、

と、自分の人生と自分の力の無さを責める形で諦めてしまうかもしれない。

だけど、貴方はどの形でも自分のことを責める必要はない。

 

貴方がどうせやられてもしょうがないよね、と感じれるということは、

過去に貴方と同じような立場を持っている人が、

同じような目にあい、同じような気持ちになったことを知っているのかもしれない。

だから、貴方は自分のことを責め、諦めてしまうのかもしれないが、

そんな時ほど、貴方はその、

どうせやられてもしょうがないよね、という感覚を大切にして欲しい。

 

貴方がその感覚を大切にすることで、

貴方は貴方と同じ立場で同じ気持ちになった人の隣に立つことに繋がり、

貴方はかつて、このような立場に立った人のことを救おうとしたことがある、

ということを知ることができるようになるのだから。

 

そうして、貴方がかつて今貴方が感じている誰かのことを救おうとしていた、

その愛を貴方自身が認めることで、

今度は貴方自身を救うための力に使って欲しい。

 

そうすることで、貴方は自身がそんな目に合うに相応しい存在ではないと知覚し、

貴方はその状況に対して怒ることで、乗り越えていくことが可能になるから。

だからどうか、貴方の過去の誰かを救おうとした愛を大切にして欲しい。

 

 

4.貴方の中の、自分のことは誰も見ていない、という孤独感を大切にして欲しい。

 

貴方は、誰かにいじめられたり、誰かに虐げられたりしたとき、

自分のことは誰も見ていない、という孤独感を感じることがあるかもしれない。

そして貴方は、だから誰も助けてくれないし、手を差し伸べてくれない、

それは自分には価値がないから、と自分のことを責めてしまうかもしれないが、

貴方は、どの形でも自分を責める必要はない。

 

貴方は、自分のことは誰も見ていない、と感じ取れるということは、

貴方がかつて愛した存在が、今の貴方と同じくらいの痛みを感じながらも、

貴方の助けを求める切望とは異なり、誰も助けに来ない、誰も救いに来ない、

そんな周りの人全てが、自分の愛する人を見捨てるような感覚を覚えたことがあるのかもしれない。

 

だとしたら、貴方は、自分のことは誰も見ていない、という孤独感を、

貴方自身が責めることなく、大切にして欲しいのです。

 

貴方がその感覚を大切にすることで、

過去に貴方の大切な人が見捨てられたと感じたことを思い出し、

それを思い出すことで、周りの人はその人のことを見捨てたかもしれないが、

貴方は同じ痛みを共有し、誰かの助けを切望するくらいに、

その人のことを愛し、助けようとした、貴方のその愛を認めれるはずだから。

 

そうして、その貴方のかつて誰かに向けた愛を、

今度は同じ痛みを抱えている、貴方自身に向けてあげて欲しいのです。

 

かつて、貴方が愛していた人の傷に心を痛め、

助けてもらえることを切望したように、

貴方のその姿と心に心を痛め、助けを切望している人は必ずいるから。

 

だから、貴方がかつての自身の愛を自分に向けることを通して、

かつての貴方と同じような愛を信じ、

貴方は一人ではないし、貴方はそんな目に合うに相応しくないと、

貴方自身がそう怒りながら表明する権利があることを認めてあげて欲しい。

 

かつて、貴方が愛していた人に救いの手が差し伸べられて欲しかったように、

貴方も周りの誰かから、救いの手が差し伸べられるように祈られているのだから。

 

 

5.貴方の中の、誰も自分の幸せと成功は望んでいない、という感覚を大切にして欲しい。

 

貴方は、誰かにいじめられたり、責められたりしている中で、

誰も自分の幸せや成功は望んでいない、と感じることがあるかもしれない。

そして、自分は才能もないし、実力もないし、他の人に比べて…と。

自分のことを貴方は、強く責めるのかもしれない。

 

だけど、貴方はそんな風に自分を責める必要はない。

貴方は過去に誰かの幸せと成功を強く願ったのかもしれないが、

そのとき、貴方が強く願った人物は、幸せや成功とは異なる道を進み、

また、その人に幸せや成功のための手が差し伸べられなかったことから、

貴方は、成功と幸せを手にできない人の要素を、その人を通して判断したのかもしれない。

 

だから貴方は、その相手が歩んだ道と同じ道を歩んでいるような自分を見て、

かつてその人物に下した判断と同じような判断を自分にしてしまうのかもしれない。

でも、貴方はそんな判断をして、自分のことを責める必要はない。

貴方は、貴方が感じた、誰も自分の幸せや成功は望んでいない、

という感覚を何よりも大切にして欲しい。

 

貴方のその感覚は、貴方が誰かの幸せや成功が、

貴方が期待した人から望まれなかったという現実を見たことを示しており、

またそれは、貴方が誰かの幸せと成功を望んでいたことを示している。

 

だからその感覚を大切にすることを通して、

貴方が誰かの幸せや成功を望んでいたことを認めてあげて欲しいのです。

貴方は、成功や幸せを望まれない人の理由として、自分の様々な部分を理由にあげるかもしれないが、

貴方はその要素と全く同じ要素を持つ誰かの幸せと成功を望み、

その人の成功と幸せを他の誰かも望むことを期待していたはずだ。

 

だから、貴方のその大きな愛を貴方自身が認めてあげて欲しいのです。

そうして、その愛を貴方自身に向けてあげて欲しいのです。

貴方がその愛を自分自身に向けた時、

貴方が幸せや成功を望まれない理由など、何一つないことに気付くでしょう。

 

貴方は、貴方が大切な誰かの幸せと成功を望んだように、

貴方の幸せと成功も、貴方を愛する人に望まれているのです。

だからどうかその思いを信じ受け取り、

貴方がそんな酷い目に合う存在ではないと、貴方自身が信じて欲しいのです。

怒りを使って、人生を切り開けない貴方へ。

 

 

1.貴方の中の、どうせ無理だという感覚を大切にして欲しい。

 

貴方は、自分の人生を切り開いていこうとするときに、

どうせ無理だという感覚を感じることがあるかもしれない。

そんな時、貴方は誰かの期待通りの道を歩んでいく力がないことで、

強く自分のことを責めるかもしれない。

 

しかし、そんな時ほど、自分のことを責めないで欲しい。

貴方がどうせ無理だ、という風に感じるということは、

貴方は何かを目指して全力を尽くしたということ。

だからまずは、そんな自分のことを認めてあげて欲しい。

 

そして認めることを通して、貴方は誰かの期待に応えるという形で、

誰かのことを強く愛していたことを、どうか認めてあげて欲しい。

 

 

2.自分の中のやる気がない、という感覚を大切にして欲しい。

 

貴方は、自分が何かに向けて直向きに頑張っている時に、

誰かにやる気があるの?という言葉を投げかけられることがあるかもしれない。

そんな時貴方は、自分がすごい悪いことをしているように感じるかもしれないが、

悪いことをしているとは思わず、自分のことを責めないで欲しい。

 

貴方は恐らく、どこかでどこかの分野の概要を知っていながらも、

そこに対するやる気はない、と切り捨てている可能性がある。

そして、そこに間接的に触れながら、別の分野で全力を尽くしているために、

貴方が間接的に触れている分野で全力を尽くしている人にとっては、やる気がないように見えるのかもしれない。

 

なのでそんな時は、貴方のやる気のない、感覚を大切にして欲しい。

貴方がやる気がないと感じるのはできないのではなく、

過去に期待通りにできなかったことが申し訳なさ過ぎて、

自分にはそれをやる資格なんてないと思っているだけなのだから。

 

だからその感覚を大切にすることを通して、

貴方が誰かの期待に応えるために、全力を尽くしたこと。

貴方が過去に、その指摘してきた相手と同じようなことをやっていたこと。

を、どうか認めてあげて欲しい。

そして、自分はその分野を扱えると信じてあげて欲しい。

 

 

3.貴方の中の、なんでできないんだろう、という感覚を大切にして欲しい。

 

貴方は、男性的な何かを行おうとするとき、

幾度となく、何でできないんだろう、と感じることがあるかもしれない。

そして貴方は、その度に、自分が特別的にできないんだと、

自分のことを強く強く責めるかもしれない。

 

だとしても、自分のことを責めることはどうかしないで欲しい。

貴方がなんでできないんだろうと感じるということは、

ある教えられたことそっくりにできるように努力しているということであり、

それは誰かの期待に応える、という誰かを愛することをしていたということなのだから。

 

だからなんでできないんだろうと、感じたときほど、

貴方は誰かの期待に応えるという愛し方をしていて、

貴方は、そんなに自分のことを強く責めるほどに、

貴方はその人のことを愛していることを認めてあげて欲しい。

貴方は昔から、大きな愛の持ち主なのだから。

 

 

4.貴方の中の、もっと簡単にできる、という感覚を大切にして欲しい。

 

貴方は、そうした男性的な何かに挑戦している時に、

ふとした瞬間に、もっと簡単にできると感じることがあるかもしれない。

そしてそう感じた時ほど、簡単にできなかった自分と、

簡単にできそうに感じても、それが自分にはできなさそうに思えて、

自分のことを強く責めるかもしれない。

 

けど、そういう形で自分のことを責めることをしないで欲しい。

貴方が簡単にできる、という風に感じれるということは、

貴方はその方法を知っていて、既に実行したことがあるけれど、

そのやり方では、誰かの期待に応えられないし、

誰かのことを愛することができないと、そう感じているのかもしれない。

 

だから簡単にできる、と感じた時ほど、

貴方が簡単ではないやり方で、未だに誰かの期待に応える形で、

誰かのことを愛していることと。

貴方のその愛の大きさというのを認めてあげて欲しいのです。

 

 

5.貴方の中の、なんのためにやってるのだ、という無意味感を大切にして欲しい。

 

貴方は、男性的な何かに挑戦しているときに、

ふとした瞬間、なんのためにやってるのだ、という無意味感に襲われることがあるかもしれない。

 

そしてそんな時ほど、貴方は、別のやり方や別のやり方で誰かや自分が愛と喜びを感じることを知っているだけに、

愛と喜びが生まれづらい、独特なことをやり続けていることに、

深く無意味感を感じ、そんな自分のことを責めたくなるかもしれない。

 

だとしたら、貴方が貴方自身のことを責める代わりに、

貴方は未だに、誰かの愛し方を忠実に守って、

その人の愛し方が成功であると証明をしようとし続けているのかもしれない。

 

だから、なんのためにやってるのだ、という無意味感を感じた時ほど、

貴方は目先にある喜びや愛というもの以上に、

誰かの愛は大きくて成功だったと証明しようとしていることを認めてあげて欲しい。

 

そう感じる時、貴方はビックなことを成し遂げて、

それを証明したくなるだろうし、貴方はその愛を成功だと証明するために、

独特な誰もやらない方法を模索して、貴方に与えられた愛が成功だと示そうとしているのだから。

 

だから、貴方はそのなんのためにやってるのだ、という感覚を通して、

貴方に向けられた愛は、独特で他の人と違って、

容易に愛や喜びを感じるものではなかったけど、

その愛は大きくて、何より貴方だけに向けられたものであり、

貴方はそれを証明しようとする形で受け取り続けてきたことを認めてあげて欲しい。

 

貴方がその貰った愛を証明しなくても、

既に貴方の生き方と性格が、その人の愛が大きくて成功だったことを証明してるのだから。だから、貴方自身が、自分を通してその愛を認めてあげて欲しい。

相手を自分の気持ちの受け皿役にしてしまう貴方へ。

 

 

1.貴方の中の、そんなの求めていないという感覚を大切にして欲しい。

 

貴方は、誰かに対して自分の怒りや妬みや痛みをぶつけるときに、

相手がしているある行動を見て、そんなの求めてないと感じるかもしれない。

そんなとき貴方は、相手のことを傷つけてしまったような気がして、

自分のことを責めてしまうかもしれないが、そんな時ほど、責めないで欲しい。

 

貴方がそんなの求めていないという風に感じるということは、

貴方は相手が今している行動を過去に行ったとき、

誰かに認めてもらない、愛してもらえないなどと感じたことがあり、

貴方はその経験から、それをしないまでに成長してきたのかもしれない。

 

だから、貴方がそんなの求めてないという風に感じたとしたら、

貴方は認めてもらてない、愛してもらえない、などの痛みを強く感じながらも、

ここまで成長してきた、ということをどうか認めてあげて欲しい。

貴方は、それほどまでに愛や喜びのためなら、頑張れる人なのだから。

 

 

2.貴方の中の、邪魔という怒りの感覚を大切にして欲しい。

 

貴方は、時にその相手に対して、邪魔という怒りを感じることがあるかもしれない。

それは、貴方が過去に、その相手と同じことをしていたからこそ、

その行動ではある結果しか生まれないことを理解しているので、

効率性が悪いという意味で怒りを感じるのかもしれない。

 

だとしたら、貴方のその邪魔という怒りの感覚を通して、

貴方は過去の貴方に比べると成長をし、

以前に比べて、遥かに効率性を上げて結果を出せるようになったことを認めてあげて欲しい。

 

貴方のその怒りという感覚が、貴方が成長をした証であり、

貴方はそれほどまでに結果を出すことで、

誰かの役に立ち、誰かのためになりたい人なのだから。

 

 

3.どうして自分がこんな目に、という感覚を大切にして欲しい。

 

貴方は、誰かに対して、自分の感情というのをぶつけている時、

何か、貴方も誰かから感情をぶつけられたりしていて、

どうして自分がこんな目にと感じているのかもしれない。

ただそう感じながらも、

相手に対して当たってしまう自分のことを、強く責めているのかもしれない。

 

だとしたら、そんな時ほど、自分のことを責めないで欲しい。

貴方が感じる、どうして自分がこんな目にという感覚は、

貴方の実力や行動というのが殆ど承認されることもなく、

そして、自分が体験するなんて思っていなかったことを体験することになっているのだから。

 

だから、どうしてこんな目にと感じた時ほど、

貴方は貴方が想定をしていないような事態においても、

毎日を全力で生き、貴方は走り続けているということを、

貴方自身が認めてあげて欲しい。

 

 

4.貴方の中の、自分は何を目指しているのだろう、という不安を大切にして欲しい。

 

貴方はどこかで、自分は何を目指しているのだろう、と漠然とした不安を感じることがあるのかもしれない。

誰かの欲求や期待に応えようとしていたり。

応えようとしている中で、つい、自分の基準に満たない人に対して怒りや妬みをぶつけるということをしてしまったりするかもしれない。

 

そんな時ほど、ますます、自分は誰かの期待に応えられない気がして、

自分のことをさらに責めるようなことをしてしまうかもしれない。

 

だけど、そんな時ほど、その漠然とした不安を大切にして欲しい。

貴方が何を目指しているのだろう、と感じるということは、

貴方は貴方が今まで積み上げてきたものの多くが、

貴方の中で喜びを感じさせないことや、

貴方が望むような形で人生を作れてないようなことを感じれてるということ。

 

だから、その感覚を大切にすることを通して、

貴方は貴方自身が本当は喜びを感じさせられるようなことが何かを、

貴方自身が認めるということをしてあげて欲しいのです。

 

 

5.貴方の中の分かってもらえない、という感覚を大切にして欲しい。

 

貴方は、相手に対して感情をぶつけているとき、

その相手に分かってもらえてないような、感覚を感じるかもしれない。

それは、貴方がその相手に対して、以前この人のある要素なら

ここまでに分かってくれるだろうと期待をかけたからかもしれないが、

例えそうだとしても、貴方は感情をぶつけた後に、

罪悪感を感じて、相手に許してもらかないような感覚になるかもしれない。

 

だとしても、貴方は貴方のことを責めないで欲しい。

貴方がその相手に対して分かってもらえないと感じることができるということは、

貴方は過去に、貴方と同じような誰かの感情を貴方自身が分かってあげたことがあるということ。

 

だけど、貴方は、溜まりに溜まった罪悪感により、自分にはそんな要素はないと思っているのかもしれない。

しかし、分かってもらえないと感じるということは、

自分のこの感情を分かれる人は、こういう人だと理解していなければ感じれない。

 

だから、貴方のその分かってもらえないという感覚を大切にすることを通して、

貴方が過去に誰かを分かることができていたということと、

貴方には自分のその感情を自分の手で受け止めることができる才能がある、

ということをどうか認めることをしてあげて欲しい。

 

貴方が感じる感情は、貴方自身に受け止められるものしか感じないのだから。

誰かに甘え、構ってもらいたいと感じる貴方へ。

 

 

1.貴方の中の、悪いことしているな、という感覚を大切にして欲しい。

 

貴方は、誰かに構ってもらおうとしている中で、

何か、悪いことをしているなという風に感じることがあるかもしれない。

そうして、自分が誰かを必要としたり、

誰かに対して甘えようとすることに対して、否定したくなるかもしれない。

 

でも、そういう時ほど、自分のことを否定することをしないで欲しい。

貴方がそこで何か悪いことをしているなという風に感じるということは、

貴方は、過去にそれをして失敗したことがあり、

そしてその失敗からそれをしないように成長してきたということ。

 

その上で、貴方が愛し信頼することができる相手だからこそ、

構ってもらおうとしたり、甘えようとしたりしているということ。

だから、貴方がもし構ってもらおうとする行為を、

悪いことしているな、という風に感じるのだとしたら、

その時は、貴方が今まで失敗から成長してきたことを認め信頼してあげて欲しい。

 

そしてそれを認めることで、貴方はその人のことを信頼し、

安心感というのを感じているからこそ、

構ってもらおうとしたり、甘えたりすることを貴方が認めてあげて欲しい。

 

 

2.貴方の中の、嫌だなという感覚を大切にして欲しい。

 

貴方は、誰かに構ってもらったり、甘えたりしているうちに、

何か自分か望んでないようなことまでされているように感じ、

何がか嫌だな、という感覚を感じることがあるかもしれない。

 

そんな時、貴方は、自分が甘えるとか、構ってもらうとかを通して、

相手のことを信頼し、親密さを示した自分が悪いんだという風に感じ、

自分を責めたくなるかもしれないが、どうか自分のことは責めないで欲しい。

 

貴方が嫌だなと感じるということは、

貴方はそれを愛のようにも、親密さのようにも感じられないということ。

 

ということは、それが続けば、貴方は更に傷つく可能性があるということなので、

嫌だなと感じた時は、何よりも貴方の感覚というのを大切にしてあげて欲しい。

 

そこで嫌だなと感じるのは、何か相手に対しての親密さや愛を裏切るような、

そんな気がするかもしれないが、

貴方は既に構ってもらう、甘える、という行為で親密さや愛は、

伝えることをしているのだから、

それを認めるということを通して、貴方の嫌だという感覚も大切にして欲しい。

 

 

3.こいつ何も分かってないなという、貴方の中の怒りを大切にして欲しい。

 

貴方は、相手に対して構ってもらったりしている中で、

こいつ何も分かってないなと、怒りを感じるくらいの行動をされることがあるかもしれない。

 

そんな時貴方は、貴方のその気持ちを大切にするよりも、

自分が誰かに甘えたり、構ってもらったりをしたように、

相手のそういう行為も容認しなきゃと、自分の気持ちを否定するかもしれない。

でも、そんな時ほど、貴方が感じる怒りを大切にして欲しい。

 

貴方がそう怒りを感じるということは、

貴方は、相手とそのような関係性というのを築きたかったのではなく、

貴方は、ただ相手と対等に親密になりたかっただけなのかもしれない。

 

だからその貴方の純粋な気持ちを大切にするためにも、

貴方が感じた怒りというのを何よりも大切にして欲しい。

貴方が感じるその怒りというのが、貴方が相手との間で、

親密にな関係性を築きたいと願い、行動した何よりの証拠なのだから。

 

 

4.貴方の中のそんな暇がない、という感覚を大切にして欲しい。

 

貴方が、誰かに対して甘え、構ってもらおうとした時に、

貴方がそんな暇がないかな、と感じることがあるかもしれない。

そんな時、貴方はその気持ちを大切にする代わりに、

そりゃ今の自分じゃ後回しにされるよねとか。迷惑だよねとか。

自分のことを責めたくなるかもしれないが、そんな時ほど自分のことを責めないで欲しい。

 

貴方がそんな暇がないかな、と感じるということは、

貴方は過去の経験を通して、相手が自分がどういう状態ならば喜びを共に感じるのかという風な発想で人と関わっていた証拠であり、

相手と自分とで喜びを感じるために貴方が努力をした証拠である。

 

だから、貴方のそんな暇がないかな、という感覚を通して、

貴方が誰かとの間に喜びを感じれるために、

失敗から努力を重ねて成功してきたことを認めてあげて欲しいのです。

 

そして、そこまで成長を重ねてきた貴方が、

そこを置いて、心を許すことができたのが、

その相手だったということをどうか認めることをしてあげて欲しいのです。

 

 

5.貴方の中の、満たされないなという気持ちを大切にして欲しい。

 

貴方は誰かに構ってもらおうとしているときに、

何か満たされないような感覚というのを感じるかもしれない。

そんなとき貴方は、相手がせっかく応えてくれているのだから、

そう感じるのは失礼だしおかしいと、自分のことを責めるかもしれない。

 

でもそういう時ほど、自分のことをどうか責めることをしないで欲しい。

貴方が満たされないなという風に感じるということは、

貴方は過去に手にした喜びを今ここでまた感じようとしたけれども、

今の貴方を満たすものは、それではなかったということなのだから。

 

貴方は、過去に満たさなかった気持ちを感じたあとに、

様々な形で今日ここに至っている以上、

貴方の心は、昔の心の満たした方とは異なる満たし方が求められているのかもしれない。

 

ということは、満たされないなという思いが示しているのは、

貴方が昔よりも心の面で大きく成長を重ねたということであり、

またその気持ちは貴方がさらなる喜びを手にできることを示している。

 

だから、貴方がより今よりも喜びを感じて、輝くためにも、

貴方の中の満たされないという気持ちを通して、自分の成長を認めて欲しい。

誰かのことを心配し、助け支えたくなってしまう貴方へ。

 

1.貴方の力は借りたくない、という感覚を大切にして欲しい。

 

貴方はある相手のことを、心配し助けたいと思うとき、

その相手に対して、貴方の力は借りたくない、という風に感じるかもしれない。

貴方はそう感じたとき、自分がその人のことを見下しているような、

下に見ているようなそんな気がするかもしれないが、

そう感じた貴方のその気持ちというのを大切にして欲しい。

 

貴方が、その相手に対して、貴方の力は借りたくないと感じるということは、

貴方はその相手に対して、その相手のある部分では、

ある事態に見舞われて、傷つくだろうと予測しているということ。

 

だから、貴方のその気持ちを認めることを通して、

貴方は、何を持っていると傷つく可能性があると知らのことになった、

ある体験というのを貴方自身が大切にしてあげて欲しいのです。

 

貴方のその感覚というのは、

貴方がその人の力を借りたとしても、また傷つくかもしれないという、

貴方が過去に貴方なりに全力で頑張った時のことを示しているのですから。

 

 

2.貴方の中の、気持ち悪いという感覚を大切にして欲しい。

 

貴方は、誰かを心配し助けようとしている時、

その相手に近付かれたりした時に、気持ち悪いと感じることがあるかもしれない。

そんな時、貴方は人のことを気持ち悪いと感じるなんで最低だと、

自分の気持ちを否定したくなるかもしれないが、その気持ちを否定しないで欲しい。

 

貴方がその相手に対して気持ち悪いという風に感じるということは、

貴方が判断した相手という過去の傷ついた時の自分が、

近付いてくるように感じられ、拒絶をしたくなるのかもしれない。

 

だから、気持ち悪いという感覚を感じることをした時ほど、

貴方の中のその感覚というのを大切にすることをして欲しい。

 

その感覚を通して、貴方は過去の傷ついた自分に傷つくことができ、

そうして、貴方自身のことを認め、愛することができるようになり、

貴方がより自由にそして幸せへと進んでいくことができるのだから。

 

 

3.私は貴方の思うような人間ではない、という感覚を大切にして欲しい。

 

貴方は貴方が心配し、助けようとした相手に評価され感謝されとき、

私は貴方の思うような人間ではない、と感じることがあるかもしれない。

その時、貴方は相手の感謝や評価を受け取ることをせず、

貴方自身のことを卑下し、否定したくなるかもしれないが、そうはしないで欲しい。

 

貴方が、私は貴方の思うような人間ではない、と感じるということは、

貴方は過去の傷ついた自分を救い助けてくれると期待した相手と、

今の自分は違う人間だ、という風に感じているということ。

 

ということは、貴方は少なくとも、

過去の傷ついた自分のような人を助け救えるくらいまで成長したということ。

だから、貴方のその感覚を通して、

貴方は自分が傷ついたときから成長し、誰かを救い助けられるまでになったことを、

その相手の評価と感謝というのを通して、どうか受け取って欲しいのです。

 

そうすることで貴方は、傷ついた自分が求めた誰かになることができ、

貴方自身は例え不充分だとしても、

傷ついた自分も傷ついた誰かも救えることができると気付けるのだから。

 

だからどうか、自分自身の素晴らしさや成長を認めて欲しいのです。

 

 

4.貴方は私の何を見ている、という感覚を大切にして欲しい。

 

貴方は、相手が自分の心配と助けようとしている部分だけを見ているように感じたとき、この人は、私の何を見ている、という風に感じることがあるかもしれない。

そんな時、貴方は、これはそういう風に見させるような自分が悪い、

という風に捉えたりするかもしれないが、

そう捉える形で、自分のことを悪く思うことをしないで欲しい。

 

貴方が私の何を見ている、という風に感じるということは、

 貴方は過去の傷ついた時の自分の誰かに対する目を通して、

相手が、こちらの助けようとしている部分だけを見ているように、感じられるかもしれないからだ。

 

だからそう感じた時は、私の何を見ているという感覚を通して、

貴方は過去に、そういった目でしか誰かのことを見ることができなかったことが

あるということを認め、そんな自分のことをただ大切にして欲しいのです。

 

貴方は昔、誰かに助けを求めることをしないといけないくらい、

何か大変な状況でも全力で頑張ってきた人なのだから。

 

 

5.貴方の、この人ではない、この人じゃない、という感覚を大切にして欲しい。

 

貴方は心の中で、ふとした時に、この人ではないというような、

自分はこの人とでは、

喜びや楽しさというのを感じることはできないと、感じることがあるかもしれない。

 

そんな時、貴方は、それは自分の未熟さがいけないとか、

相手の気持ちを考えたら、

そんなことを思ってはいけないと思うこともあるかもしれないが、

そうは思わずに、貴方のその気持ちを大切にして欲しい。

 

貴方がこの人ではない、と感じるということは、

貴方はその助けようとしている相手とでは、

自分が喜びを感じることができないと、感覚的に理解しているということ。

 

ということは、貴方は、今喜びを感じることができないとしても、

貴方は自分が何をして、何を感じていれば、喜びを感じれるか知っているということ。

 

だから、この人ではない、という感覚を大切にすることを通して、

貴方が喜びを強く感じれることをどうか大切にして欲しい。

  

誰かを傷つけることで、安心する貴方へ。

 

1.貴方の中の、もうやられたくないと感じる感覚を大切にして欲しい。

 

貴方は誰かを傷つけている時や、傷つけることをした後に、

不意に、もうやられたくない、という感覚を感じることがあるかもしれない。

もしそう感じることがあったら、その感覚を大切にして欲しい。

 

貴方は、過去に貴方が何もしてない、純粋な貴方だったのに、

貴方が体験したくないことを体験し、

そんな体験をもうしたくないという思いから誰かを傷つけてしまうのかもしれない。

 

貴方がもうやられたくないと感じるということは、

貴方は誰かを傷つけたくて傷つけるような人ではなく、

傷つけられるような場面から逃れるために、

貴方は誰かのことを自分を守るために傷つけてしまうだけかもしれないから。

 

だから、もうやられたくないという感覚を通して、

貴方自身が、自分は誰かのことを傷つける人ではないと信じてあげて欲しい。

 

 

2.貴方の中の、なんでこんなことをされるんだ、するんだ、という感覚を大切にして欲しい。

 

貴方は、誰かのことを傷つけることをする前に、

誰かの行動や言葉に対して、

なんでこんなことをされるんだ、するんだ、と感じることがあるかもしれない。

 

その相手の行動や言葉というのは、客観的に見て、

貴方のことを傷つけるものではないかもしれないが貴方はそう感じるかもしれない。

 

だとしたら、貴方がその時に感じるその気持ちを大切にして欲しい。

貴方がそう感じるということは、

貴方はその人と同じような行為を過去にした時に、

怒られたりして、それを愛のない行為と捉えていたり。

 

もしくは、貴方がその行為をしている人に傷つけられたと感じたことがあるかもしれないから。

 

だから、そう感じる時は、貴方が過去に貴方なりの思いや愛で、

行動したことがあるということを何よりも示している。

だからその感覚を通して、過去の貴方の行為や行動を認めてあげて欲しい。

貴方はその時、誰かに対して愛を持って関わることをしていたのだから。

 

 

3.貴方の中の俺が悪いのか、という感覚を大切にして欲しい。

 

貴方は誰かを傷つけ、その行為を咎められたりした時に、

俺が悪いのか、と不意に感じたりすることがあるかもしれない。

貴方は、自分の行為が相手を傷つけていたものだと理解すればするほど、

そんな気持ちを強く強く否定したくなるかもしれない。

 

でも、そんな時ほど、貴方の中のその感覚を否定しないで欲しい。

貴方が俺が悪いのか、と感じるということは、

貴方はその行為というのを、自分の痛みを分かってもらうためにしていたのかもしれない。

 

貴方は過去に、誰かとの間で傷つくという経験をし、

その痛みというのを分かってもらえそうな相手に、

傷つけるという行為で分かってもらおうとしたのかもしれない。

 

だとしたら、貴方のその俺が悪いのかという感覚は、

貴方が過去に傷ついた痛みというのを示しているので、

貴方のその俺が悪いのか、という感覚を通して、

貴方が過去に感じた痛みというのを大切に抱きしめることをして欲しい。

貴方は、元々、誰かのことを傷つけるような人ではないのだから。

 

 

4.貴方の中の、何か悪いことしたの、という感覚を大切にして欲しい。

 

貴方がもし、誰かのことを傷つけた時に、何か悪いことしたの、と感じるとしたら、

それは、貴方が過去に同じような感覚で同じようなことをされたことを示している。

だからそう感じたときは、まずはその感覚を認め大切にしてあげて欲しい。

 

貴方は、そのとき、貴方の体験を通して、

こういう人は、こうされるのが普通だという風に感じているのかもしれない。

それは、貴方の痛みからもたらされる知覚であるので、

貴方の何か悪いことしたの、という感覚を通して、

貴方が過去に体験した痛みというのを貴方自身が受け止めてあげて欲しい。

 

 

5.貴方の中の、なんでこんなことをされなきゃならない、という感覚を大切にして欲しい。

 

貴方は誰かを傷つけることをしたとき、

その傷つけた相手に逆に何かをされた時に、

なんでこんなことをされなきゃならないと感じるかもしれない。

 

その時に貴方は、傷つけたら逆にされたくないのをされるのは仕方ないと感じ、

その気持ちというのを否定したくなるかもしれないが、

そんな時ほど、貴方の中の、その気持ちというのを否定しないで欲しい。

 

貴方は、例え誰かのことを傷つけることをしたとしても、

なんでこんなことをされなきゃならない、と感じるということは、

貴方はその人のことを傷つけるているとき、

自分自身の過去の姿というのを投影するということをし、

過去貴方が傷つき反論しなかった時の姿をその人に映し出していたのだから。

 

だから、貴方の中のなんでこんなことをされなきゃならないのだ、

と感じた時ほど、貴方が過去に傷つき、反論も何もしなかった時のことを、

どうか貴方自身が認め、大切にしてあげて欲しいのです。

 

誰かのことを傷つけてしまった時ほど、

相手の痛みと気持ちが分かるだけに、重い罪悪感を感じるかもしれませんが、

ちょっと勇気を出して、自分を許すことにチャレンジして欲しいのです。

 

そうして、貴方は元々、誰かを傷つける人でもなく、

貴方は昔も今も無罪な人だった、ということに気付いて欲しいのです。

貴方が誰かを傷つけたことは一度もなかった、と貴方自身が信頼してあげて欲しいのです。