承認欲求の本質。
暇なので、溜まったものをつらつらと書いていく。
承認欲求というと、僕は今まであまり良いイメージがなかった。
何だか、自分の欲求で誰かを振り回すような気がしたり、
自分の都合で誰かを動かしてしまったり等々、
自分勝手なことをしてしまうような印象があったから。
心理学ではよく、「自己承認が大切ですよ〜」とか、
「自分を愛してくださいね」と、よく言われることがある。
僕もこれには同意する。
自分勝手に行動したくないとずっと思っていたので、
それさえできれば、自分は自分勝手な行動をしなくなるからだと思ってたから。
しかし、意味を取り違えると、少し大変なことになる。
自己承認にしても自分を愛することにしても、
誰かに迷惑をかけない、誰かの邪魔にならないようにするなどの、
罪悪感を動機として行おうとすると、
自分を小さくするために自分を愛そうとするので、
自分の心に対する理解が深まったり、それを通して状況に対しての理解も増すが、
邪魔にならないように動ける範囲が増えたと感じられるだけになってしまう。
これは自分が誰かのためにできることが増えたという愛の解釈とは異なる、
罪悪感による解釈の仕方なので、
どうしても息苦しさというのが増してしまうのである。
そしてじゃあ、溜まった承認されたいという欲求はどうなるの?というと、
以前として、自分にはないと思うものを持っている人に対して、
認めて欲しいという気持ちは抱き続けるので、
どれだけ理性でコントロールしようとしても、消えないのである。
つまり、ずっと持っていた罪悪感も消えないので、
その承認欲求を見せないために引きこもるという何もやらない人になるか、
すっごい辛いし苦しいけど、
惨めな自分とした何もやらない自分を見せないために、
必死にやるべきことをこなす人になるのかのどちらかになることが多い。
というわけでなぜか、承認欲求を消そうとするとあまり良い結果にならない。
じゃあ、そもそもで承認欲求とは何なの?というお話になる。
承認欲求の多い人というと、どんなイメージがするだろうか。
僕は支配的な人、暴力的な人、直ぐ怒る人、ナルシストな人をイメージする。
何となく、自分を強く主張する人、自分を一番にしようとする人を挙げた。
これはあくまで僕が感じたことなのだが、
そう感じさせる人の共通点として、
自分を何かに近付けようとしているという部分が共通する感じがする。
そうでもしなければ、自分は価値がない。
要は誰かを喜ばせられない、そんな感覚を感じるのである。
ということであくまでこれは僕の見解だが、
承認欲求とは、その人の本当の愛の大きさと、
それを認められない自己との葛藤で生じるものかなと感じた。
承認欲求の強い人は自分のことを認められない、愛せない人、
という言い方をされることがあるが、
これは言い換えれば、本当は凄く愛の大きい人なのだが、
その愛を否定された経験により、
自分の愛を疑っている人という見方になるのかなと思う。
つまり、無価値観からの目線で見れば、
自信がない、威張りすぎ、偉そう、疑い深いし執念深い、自分勝手等々、
あまり名誉ではない見られ方をする。
が、愛の目線から見ると、
自分を低くしてまで人を大切にしようとしてるとか、
多くの人が喜ぶ何かを大切にしているとか、
様々な人を支え仕切る立場の愛の大きさを知ってるとか、
より大きな自分になると誰かが喜ぶことを知ってるとか。
自分という立場を置いて相手のことを見て見ると、
相手が凄く大きな愛になろうとしていることが見えてくるなと感じる。
悔しく説明すると、権威を振りかざすことができるのは、
権威があるものとないものとでは、
できることが変わるということを知っているからであり、
それを知れるのは権威のある人の愛を知っているからとなる。
と言っても、権威を振りかざされると、
振りかざされるものは、
自分には権威を持つ人ほどの愛はないという無価値感を感じるので、
すんごいその人に対する印象が悪くなってしまうのである。
そんな対象にされる存在は、大抵権威の愛を知っている人であることが多く、
知ってるからこそ、その存在と目の前にいる存在の差が違いすぎて、
ふざけるな、お前なんか権威を持って良い存在じゃない、
引きづり降ろせ、こいつがいるから全て悪いんだ、みたいな感じになる。
とちょっと話が逸れたけど、
承認欲求というのは、かつて感じた愛を感じられなかったという痛みから、
僕にそのかつて感じた愛をもう一度感じさせてという、
その人の心からの助けを求める声なのかなという風に感じる。
そこまで大げさに考えなくても良いかもしれないが、
私に愛があるって言って?みたいな感じなのかなと思う。
ということで、じゃあ承認欲求があるならどうするの?となり、
これに対しての問いは、愛の大きい人の価値を見ることで解決するように感じる。
一番は嫉妬する存在。自分にはないを見せつけられるような相手を承認すること。
嫉妬は、承認されなかった痛みや、無価値感や罪悪感を持った時の痛み。
また価値のある存在にもらえなかった悲しみや寂しさ。
またそれを得られない悔しさ、辛さ、しんどさ等々。
色々な感情を呼び起こす最悪な感情ではあるが、ここが抜け道になると感じる。
本来、その人の愛を感じているからこそ、
その上にそこを否定せざるを得なかった痛みがのしかかるのだが、
その人の愛を感じた部分まで感じることができれば、
価値のある存在と自分を分離させるものはなくなるのである。
つまり、自己承認できるという状態になるのである。
ということでこれはさっきの記事にも連なる部分であるが、
今ここで嫉妬する存在の価値を認め続けること。
またその認めた貴方の目で、相手を支え、協力すること。
そういった相手の愛や価値を通して、
自分の価値や愛を感じる機会を増やすことが求められると思う。