誰かに酷いことを言ってしまった貴方へ。

 

1.貴方がその時に大事にしていた何かを忘れないで欲しい。

 

貴方は、人生のどこかで、誰かに対して酷いことを言ってしまったかもしれない。

それは、売り言葉に買い言葉かもしれないし、

時には、ただ不意に悪意もなく言ってしまったからかもしれない。

 

しかし、どんな時においても、貴方が誰かに酷い言葉を言ってしまったときは、

貴方自身がその時に大事にしていたことを忘れないで欲しい。

 

貴方はきっと、その時、自分はこうだ、とか。

自分だったらこうする、とか。

自分にとっての大事な考え方や、

何かを守るためにそういうことを言ったのかもしれない。

 

だからどうか、貴方が誰かに酷い言葉を言ってしまったことを責めるよりも、

貴方の中の、大事だったものを認め、大切にすることをしてあげて欲しい。

きっと、貴方は酷い言葉を言ったとき、

それを否定されてしまったかのような感じを受けたはずだから。

 

 

2.貴方の中の否定したくなる気持ちを大切にして欲しい。

 

貴方が心の中で強く否定したくなる気持ちを感じるということは、

貴方にとって、その考え方や何かは容認できないということだから。

 

貴方はそれほどまでに、その容認できない考え方とは別の考え方を大切にしている。

それは、その考え方を通して、誰かや何かを大切にするからかもしれない。

 

だから、どうか、貴方の中の否定したくなる気持ちを否定しないで欲しい。

それは、貴方にとって本当に大切なものであり、

貴方という人間を作ることをしてくれる、本当に大事なものだから。

 

 

3.自分のことを最低と思うのは、貴方の優しさであり成長した証。

 

貴方は誰かに酷い言葉を言ったあと、

もしかすると、そんな自分のことを最低な人間だと責めているかもしれない。

 

だとしたら、

それは、貴方が言った言葉の意味を貴方自身が理解したということであり、

その言葉が相手にどのような影響をもたらすか知っているということである。

 

だから、貴方が自分のことを最低な人間だという風に責めたとしたら、

責める代わりに、どうか自分の成長と優しさを認めてあげて欲しい。

 

そうして貴方のその成長を通して、

貴方は、そんな言葉を本来言う人ではないと自分のことを信じてあげて欲しい。

 

 

4.貴方自身が貴方のことを許してあげて欲しい。

 

貴方がもしその言葉を言ったことで、

自分なんか許されるわけがないという風に感じいているとしたら、

貴方はその言葉で相手がどれだけ傷つく可能性があるのかということを、

貴方の心を通して理解することができたということ。

 

貴方は、その言葉を言った時とは違い、

その言葉によって、相手がどう感じどうなるのかというところまで、

深く深く理解するということができるようになった。

 

だから、そこまで成長することをした自分を認めると同時に、

過去の自分というのをどうか、許すことをしてあげて欲しい。

 

貴方は、相手の痛みを分かるくらい成長したのだから。

貴方自身が、ここまで成長した私なら大丈夫、と信じてあげて欲しい。

 

 

5.今の自分なら、もう言わないなと信じてあげて欲しい。

 

貴方は過去にそのような言葉を言ってしまったことで、

ある弾みでまた同じ言葉を言ってしまうのではないかと感じるかもしれない。

 

ただそう感じるということは、貴方の中で貴方の中にある悲しさが、感じられるくらいまで成熟したということであり、

同時に貴方はもう言いたくないと、決意しているということである。

 

だから貴方のその決断と貴方のその悲しさを大切にすることで、

貴方の成長と成熟さを認めてあげて欲しい。

そしてそんな自分を通して、もう自分なら大丈夫だと信じてあげて欲しい。

 

貴方は元々、誰かに酷い言葉という形ではなく、

しっかりと本当の気持ちを伝える形で話し合える人なのだから。