セラピー10(保存用)

10□自分の中で自分から関わっていく選択ができない部分を書き、それで迷惑をかけますと書く。そのあと、ごめんなさい、でもそれでも貴方の力になりたいと書き、最後にありがとうと書く。

 

・例

僕は、何もできない面で貴方に迷惑をかけます。ごめんなさい。

でもそれでも貴方の力になりたい。ありがとう。

 

僕は、行動の遅さで貴方に迷惑をかけます。ごめんなさい。

でもそれでも貴方の力になりたい。ありがとう。

 

・目的

自分から何かを作り出す、何かに関わっていくという選択ができない時、

二元的な見方から、自分は悪い方の部分を持ってるという判断を行なっている。

 

これがあると、「自分じゃない方が良い」「自分よりもできる人はいる」

という発想になりがちなので、

「自分は迷惑をかけるから、居ない方が良い」

「自分は愛されてないし、ここに相応しい存在ではない」

という見方に繋がることがある。

この感覚は、寂しさや孤独感という感覚に繋がるだけでなく、自信を失わせる。

 

そしてこの見方があるとき、

「やるかやらないか」「できるかできないか」という発想を持っている

人からのアドバイスを中々受け取れなくなるだけではなく、

「何もわかってない」「あの人がいるから自分はできないんだ」

という感覚に繋がることが多い。

 

あくまで相手は、自分が感謝したことを通して、

愛を持って伝えてくれているだけなのだが、

二元的な見方を含んでる部分だと、自分のできなかった痛みに当たることで、

「この人はできてるできてないの線引きを引いて、与えさせてくれない」

という感覚の元、相手を敵視する。競争するという方向に向かいやすい。

 

そうして、

「他の部分を引き合いにして、私のができている」

もしくは、

「この人は私のありのままを見ていない」という感覚に繋がってくる。

 

しかしこれだと、相手の見方を自分の痛みを通して癒着したままになるので、

「他の場面で自分がやってることを通して与える」

「新しい試みを通して力をつけて、組み合わせて与える」などなどの、

自分の思考の積み重ねの全てを与えるという方向に向かわず、

自分の奥底の才能や愛が使えないという問題が生じてくる。

 

なので、その二元的な部分で痛みを感じてる感覚を、

痛みから与えるの方向に変える選択を行うことで、

そこと他の自分の要素を組み合わせて与えられる状態にしていく。

 

・解説

自分のできない部分を刺激してくる、

自分のできない部分があるとそういった刺激をされる、

という痛みを超えて、

まずはその痛みを引き起こしてくると感じている人に対して、

刺激してくる感覚を「迷惑をかける」という言葉で、

自分からその痛みを引き受ける選択をしていく。

 

ただずっと、自分のできない部分を通してできる人を見てきただけに、

「私よりも優れている人はいるし、私がやってはならない、ごめんなさい」

という感覚があるので、「ごめんなさい」という言葉を選択することで、

その罪悪感というのを自分で引き受けていく選択を行う。

 

そうして、そこまで選択した上で、

「私は私よりも優れている人がいるのも知っているし、

私はその人達よりも劣っている現実を見せられると傷つくけれども、

私は私がしてきた部分の全てを通して、貴方に与えていく」

という選択を行うことで、

 

自分のダメだと思っている部分、自分の他の部分の才能を使って、

与えるという方向性に意識をシフトさせていく。

 

最後に、「ありがとう」と書くことで、

「相手は許してくれたり、何だかんだいって笑ってくれるだろう」

というのイメージを形成し、

これにより、痛みからくる、しなければ終わるという感覚に終止符を打ち、

しなくても終わらないから、自分の他の部分も生かして与えようと、

より自分のために、そして自分の全身全霊を与えていくことに繋げられる。

 

・効果

自分を攻撃したり、敵視したりしてくると感じていた人が、

実は、そうではなく、自分は自分のダメな部分を見ないために、

その人と争い、責められているように感じてんだなと気付ける。

 

また、これを通して感じるのは、

与えていなかっただけだったという感覚と、

痛みを超えて、与える選択をすることで、自分の他の部分の才能も開花してくるような感覚に繋がってくる実感を得られる。

 

あとは、自分の痛みが癒されることで、

相手が自分に向けてくれていた愛を、

「その人は自分の感謝を通して受け取ったものを、

愛を通して自分に与えてくれたんだな」という実感に繋がる。

 

・注意点

自分はいなくなった方が良いような感覚に至ることがある。

これは、過去の自分の、痛みを通しての思考の積み重ねから生じるものであるが、

そんな自分には何もできないような感覚や絶望感を感じることもある。

 

他には、これを繰り返していると、

自分を責めきたり攻撃したりしてくると思っていた人に、怒りが生じることがある。

 

自分の痛みがあるだけに、

「なんで自分はこの痛みを超えてまで何かをしなきゃならない」

「相手はこの痛みを理解せずに、こちらの気持ちを何にもわかってくれなかったのに」といったような、

「選択なんかしたくない!被害者のままでい続けたい!」

というような感覚に至ることがある。

 

・対策

「自分はまだ全力を尽くしてないし、こんなものではない」

といったような怒りのような感覚が大切となる。

 

まだ自分はやっていないことがあるし、見せていないことがあるという思いが、

この痛みを超えて、新しいものを作ろうという意志と希望を作る。

 

また、「自分はもっと大きな愛があるし、より多くのものを与えれる」

というような感覚とイメージがあると、

そちらの方に意識は向いていくので、痛みを超えて、

そちらの方向に向かうような選択がしやすくなっていく。

セラピー9(保存用)

 

9□自分が人と比べて劣ってると思うところ、嫌っているところを書き、その次にそれでも僕は貴方と仲良くなりたい、貴方と親密になりたい、と書く。

 

・例

私は貴方に比べて、明るくないです。それでも、僕は貴方と仲良くなりたい。

僕は貴方と親密になりたい。

 

私は貴方に比べて、人の力になることができません。

それでも、僕は貴方と仲良くなりたい。僕は貴方と親密になりたい。

 

・目的

劣等感や自己嫌悪の感覚に焦点を当てたワークである。

 

劣等感や自己嫌悪は人の良いところを軸として生じるものであるが、

これは、その良い部分の影響力に対する思考の積み重ねから、

私にはそれはできないという思い込みを作り、人との距離を広げる。

 

その劣等感や自己嫌悪は、相手の影響力vs私の影響力という構図を作るので、

私なんかという感覚を作り出し、

その人と繋がることが申し訳ないような、ダメなような気がしてくる。

 

すると、その仲良くなる等の選択を自分ではなく相手に委ねる形になり、

その選択のトリガーを相手が引いてくれないと、

その相手に責められているような感覚に繋がったり、

その相手の良さがいつの間にか、恨みの対象に繋がったりすることがある。

 

なので、今回のワークでは、こんな自分でもという恐れを超えて、

自分が本当にしたかったことを選択することを行なっていく。

 

・解説

人の長所の判断は、その人の行った選択によって人がどれだけ良い影響を受けたか、という光景を元に、判断が行われる。

 

その時の思考の積み重ねでその人を判断していくのだが、

その時、自分の方に、良い影響を与えることができなかったと感じた痛みがあると、緊張を作り出したり、その人との間に距離感を作ることになる。

 

それは大抵錯覚であるが、痛みがあるとこのような判断が行われる。

 

そして、この時同時に、自分もそのようになりたいという感覚の元、

その人と繋がりたい、その要素を自分も感じたいという感覚になるのだが、

この選択を自ら行うことが、痛みにより難しくなる。つまり対等になれない。

 

そしてその本当は欲しかったそのものを、

相手がくれないと、不満に繋がったり。

それが思考として積み重なると、諦めと遠い世界のような感覚の元、

妬みや嫉妬に繋がることもあり、

それが責められてるような恐れに変わることがある。

 

これは自分の本当は欲しかったものとの距離を自分が離す選択をしたから、

生じる責められているような感覚に繋がる。

 

なので、このワークでは、その繋がれない理由となる、

劣等感や自己嫌悪を使い、

そんな自分でも、劣等感や自己嫌悪がなかったら手に入れられるものを、

手に入れていく選択を、

人と繋がる、人と親密になるという部分で行なっていく。

 

これは同時に、私は欲しいものを手にする、も選択するものでもある。

 

・効果

一番は、自分のダメな部分を気にしていたのは、

自分だけだったのかもしれない、という風な気づきが訪れてくること。

 

そして、こんな自分でも仲良くなれるなら、仲良くしたいかもという感覚や、

既に仲良くしてもらっているかもという感覚が、

痛みを超えただけで感じていけることがある。

 

要は、劣等感や自己嫌悪がありながらも繋がりを選択することで、

「あの時もこう選択してたな」とか、

「あの人はそれでもこんな風に接してくれた」等々、

人の愛に気付けると同時に、

自分のしてきた選択とその結果を、認めることができるようになってくる。

 

・注意点

書いている時に、これは自分だけなんじゃないか、という感覚になることがある。

それは、劣等感や自己嫌悪を持っている時の見方の積み重ねからくるもの。

 

相手の良い部分と繋がれるか繋がれないかという駆け引きを、

相手と行なっている時、

自分の視点というのは、繋がれるか繋がれないかに集約される。

 

この時の択は、自分から行動するか、相手から来るのを待つかの2択。

そうすると、良い部分と繋がることしか、

この感覚は抜けられないという発想に至るので、

良いものと悪いものという二元論の見方に固定されてしまう。

 

その思考の積み重ねが、「私なんて」とか、

「自分だけなんじゃないか」という感覚に至ることがある。

 

・対策

何があろうと、欲しいものをは私から与えていくという覚悟を決めること。

この覚悟で、自分が与えたり、信じたりしたけど、欲しいものが手に入らなかった時に、じゃあ別のやり方で手にしよう、

という発想へと流していくことが可能になる。

 

けど、このワークをやることで、何かが手に入る、という感覚のみでやっていると、

「どうさ手に入らない」とか「無理だろう」とかの痛みに入ることがある。

 

なので、まあこれで手に入ったらラッキーかなくらいの気分でやるのが望ましい。

セラピー8(保存用)

 

8□自分が伝えたいけど伝えられなかったことを書き、その後に許してくれませんか?お願いします、と書く。

 

・例

私は私の歩んでいく道を伝えたいです、許してくれませんか?お願いします。

私は私のミスを伝えたいです、許してくれませんか?お願いします。

私は私の感謝を伝えたいです、許してくれませんか?お願いします。

 

・目的

話すというような対象を必要とするものにおいては、

許してもらえると思ってるか、思ってないかが鍵となってくる。

 

子供の頃、自分の話を遮られたり、怒られたり、上から被せられたり、

許してもらえないと感じるような体験をするとそれが記憶として残る。

 

すると、許してくれそうと感じた部分しか話さないという現象が起きる。

 

またこのとき、その対象のことを、ずっと恨み続けていることがあり、

本当は伝えたいことを伝えようとするときに、

「この人は絶対に許してくれないだろうな」という感覚になりやすい。

 

場合によっては、伝えようと思っていたことが発想としても浮かんでこず、

何かムカつく的な感覚の元、怒りや喧嘩の火種に繋がることがある。

 

なので、今回は純粋さと本気の感覚を使って、

伝えられなかった痛みを超えて、伝えていくという選択をする。

これで、痛みを超えて、伝えたいことを伝えていけるようにしていく。

 

・解説

許してもらえなかったという痛みがある時、

こちらからもう一度許してもらおうとは、傷つきたくないから中々なりにくい。

 

そうすると、自分の伝えたいことを伝えるかどうかは、

子供の時に行なった判断を軸に

許してくれそうか許してくれなさそうかで判断していく。

 

そうすると、文句や愚痴の火種になるので、

この流れを変えるために、再度傷つく恐れを超えて、

許してもらえなかったことを許してもらう選択をしていく。

 

それに当たって、「許してもらえませんか?」という言葉を使うことで、

自分の中の純粋さを通して、相手の中の純粋さに焦点を当てていく。

 

そして最後は「お願いします」という言葉で腹をくくることで、

自分の中にある思いを「伝えたい!」という部分に乗せる選択を行う。

 

要は自分の全身全霊さを使って、何があっても伝える選択をするということ。

 

・効果

一番は「私はずっと相手のことを許してくれない人にしていたんだ」という気づきに繋がること。

 

許してくれない人という存在の元、自分を責めている時は、

 

事情を理解しようとしても「許してくれてないじゃん!」という意識が先行しやすいのだが、

 

純粋さに焦点を当てた後だと、

相手の良いところや、してくれたところに目がつきやすくなる。

 

そうすると、感覚として、自分の伝えたいことを伝えようとするときに、

許してくれそうな感覚に繋がりやすい。

 

・注意点

書いている時に、許してくれなかった時のイメージが浮かぶことがある。

そうすると、無理なようなダメなような無価値な感覚が押し寄せてくることがあり、

その書いたことが、他の人が普通にしてることであればあるほど、

惨めな気持ちになったり、怒りが湧いてきたり、

許してくれなかった人の人格を酷い方に判断するような感覚が生じてきたりする。

 

・対策

この惨めさというのは、許してくれなかったという判断から、

その判断を通して、許してもらえている人を見続けたというところからくる。

 

あくまで判断するトリガーを引いたのは相手であったとしても、

この判断を通して許してもらえている人を見続けたのは自分だ。

というマインドを持たないと、羨ましいという感覚の元、

羨ましい何かを許してくれなかった人のことを、

物凄い敵視する、被害者のマインドに陥ることがある。

 

こうすると、怒りとか恨みとか、そういった許してくれるまで俺はやらない、

という態度に繋がりがちなので、

これをやる時は、相手の中には必ず愛はあるという信頼が必要となる。

セラピー7(保存用)

7□自分の中で本当はしたくないと思ってることを書く。

 

・例

私は人のことを受け入れたくはありません。

私は人の気持ちを分かりたくはありません。

私は傷つきたくはありません。等々。

 

・目的

過去に答えてもらえなかった自分の欲求がある時、

その欲求を持つ人の欲求に答えてやるもんか、という判断に向く場合がある。

 

この時、その判断を保持しているだけなら良いのだが、

その判断が何か悪いように感じると、

その欲求を持つ人を何とかしないといけないような意識が働いてくることがある。

 

そうすると、私の潜在的な欲求を持つ人の存在を、

選択の余地がない状態で期待してくる人のように感じ、辛くなることがある。

 

実際のところはそうではないのだが、

この時、理性で考えても、自分の潜在的に抱えてる欲求を通して、

「こんな気持ちにさせてしまうじゃないか」という思考の流れになりやすく、

抜け出せない状態が続いてしまうことがある。

 

なので、本当にしたくないことをしないと選択することで、

私はその欲求には答えないと選択して、

抜け出せない状態を抜け出していく目的がある。

 

ただあくまで、この選択は、自分の過去の依存心に向けられての選択なので、相手を拒絶するような選択にはならない。

 

 

・解説 

昔自分の依存心を満たしてもらえなければ、

誰かの依存心を満たしたいと思わないのは当然である。

 

しかし、前述したようにその判断に罪悪感があると、

誰かの依存心を満たすという自立の方向性に向かうが、

これは受け取れない痛みを作ることになる。

 

なので、罪悪感を抱える前の判断した部分に立ち返り、

自分は本当はそれをしたくなかったんだと認めていく。

 

 

この時、今の目の前の人との関係性のみで考えると、拒絶してしまうような感じや、

傷つけてしまうような感じを感じたりすることもあったり、

関係性を壊す必要があるんじゃないかという思考に駆られることもある。

 

しかし、それは、私はその人の期待によって、怒りを感じさせられたという見方から生じるもの。

 

実際のところは、過去に私がしたくないけど、罪悪感からしようと選択したからであり、その見方をすると、関係性を壊す必要もないことも、

その人が過度な期待をしているわけでもないのも、不思議と見えてくる。

 

そうすると、「私は罪悪感から誰かのためになる選択をしてきたが、その中で身につけてきたことや、残してきたものは、私の長所だ」と受け取る方に意識が向く。

 

自分の過去の依存心が自分で満たせるようになったことで、

自分の今までの行動が持ち運び可能なものになる。

 

・効果

上にほど書いてしまったが、

自分の過去の依存心との決別を選択を持って行う。

 

要は自分の中で期待していたマインドをもう期待しないと選択することで、

「私のこの欲求に対して貴方は無理に答えなくて良い」という、

頼るか頼らないかはその時に決めようと、余裕の持てる状態にできる。

 

・注意点

私がしたくないという選択をする時、非常に辛い感覚になることがある。

これは過去の「これを満たしてもらえないなんて辛すぎる」

という気持ちからもたらされる感覚である。

 

なので、しないと選択することが、たとえ相手のことであったとしても、

非常に辛いし嫌だなという気持ちになることがある。

 

また、自分が最低のような人でなしのような感じに、感じることもある。

 

・対策

あくまでそれは、自分のニーズが感じさせるものという認識を持つこと。

昔の自分はそのニーズを誰かに満たしてもらうことが、必要だったかもしれない。

しかし、今の自分にはそれが本当に必要なのか?その問いを自分に行うこと。

 

ここでの「しない」という選択は、

ある角度から見ると、「信頼」という選択を行うことでもある。

 

必ずその「しない」という選択を行う時、

自分と似たようなニーズを持つ人が浮かぶことが多いが、

ここでは、その人に私は何もしなくても大丈夫という信頼を、

自分の痛みを超えてできるかどうかにかかってくる。

 

 

他には、まだ怒りや痛み等々の被害者マインドが強い部分に関しての、

「しない」という選択の場合は、激しい怒りやを感じたり、

自分の選択だけでそれが起きたような気がしないこともあるので、

こういう時は、そこを今は避けるというのも一つ。

 

被害者のマインドが強くあるときに、

自分と似たような被害者の人を助けない選択をするのは、

中々辛いものがあるように感じる。

セラピー6(保存用)

6□自分の中で気にしている部分を書き、こんな人間でも受け入れてください、お願いします、と書く。

 

・例

私は人のことを傷つけてしまうような人間です。こんな人間でも受け入れてください。お願いします。

 

・目的

自分が抱えている、悲しさや寂しさの感情へのアプローチ。

自分の中で過去に選択した何かに対して罪悪感を抱えていると、

その罪悪感が別のところで、「私はこうしちゃう人なんだよね」という分離を作る。

 

罪悪感は分離の感情であるが、この罪悪感があると、

相手をその罪悪感を許してくれない人にするだけでなく、

人と繋がれないことから、悲しさ寂しさをもたらす。

 

これが人との距離感を作ることになるので、

このワークで悲しさ寂しさを感じさせる、

要は罪悪感を通した自己に対する判断を打ち明け、

またそれを受け入れてくれるような存在を今ここで作ることで、

人と繋がれない理由というのを少なくしていくことを目的としている。

 

・解説

この罪悪感があるとき、「私なんかは受け入れてもらえるわけない」

という前提のもと、私のこの罪悪感なしで、この場は調和されており、

その調和は私のこの罪悪感の打ち明けにより崩れ去る、と思うことがある。

 

それが、人との距離を作るのだが、

この問題の本質は、人が受け入れる受け入れないではなく、

私の中で相手を受け入れてくれない存在と認識していることにある。

 

これが罪悪感が作る罠。

なので、今回のワークでは、懇願を通して、その罪悪感からくる、

無意識の分離のパターンの連鎖を断ち切ることを行なっている。

 

・効果

思考が変わることが一番の目的。

罪悪感を強く抱えているときの焦点は、

その罪悪感を責め許してくれない部分に当たるのだが、

 

罪悪感を通して焦点の部分を選択によって変えることで、

「許してもらえるかも…」「これでも良いのかもしれない」

という落ち着いたような見方に繋がる。

 

そしてこの落ち着いた見方は、罪悪感にどっぷり浸かって、

人との距離を急速に離すという選択を抑制するのにも繋がり、

また、自分と同じような人、自分と似たような人を無意識に探すという、

繋がりの方向性へと向かう効果がある。

 

・注意点

書いている時に、過去の罪悪感の痛みから、

自分が最低な人間なような気がしてきたり、

愛されないようなイメージが浮かんできたりすることがある。

 

また、書いている時に、悲しさや寂しさに触れることがあるので、

そこで世界に自分は一人ぼっちのような孤独感を感じることがある。

 

・対策

人は、人の見たいように見ているという視点が必要になる。

ある要素を持った人しか、この悲しさや寂しさを分からないという視点になることがあり、

過去の寂しさや悲しさにを感じるトリガーを引けなくなることがある。

 

あくまで目的は、寂しさと悲しさを通した見方を変えて、

それを自分で受容していくことなので、

その感情の責任を、今依存として浮かんでいるイメージも含めて、

自分が取るという覚悟が必要になる。

 

セラピー5(保存用)

5□誰かに言われるのが怖いと思ってる言葉を書き、その全てを幸せにすると選択する。そして、オポノポノを使う。

 

・例

私のそこがそれがなければお前は良いのになー、の全てを幸せにする。

許してください。ごめんなさい。愛してくれてありがとう。

 

・目的

自分が何か選択した時に感じる恐れというのは、

自分が自分に対して言っているものではあるが、この恐れは強い恐怖感ともに生じるので、無意識的にその恐れから生じる判断をしてしまうことが多い。

 

今回のこの一連のワークで、

その恐れをまずは幸せにするという選択を行い連鎖を断ち切る。

 

その選択をすると、生じるのは罪悪感なので、

その罪悪感を感じさせた人物を今ここで自分を許す人にし、謝罪をする。

そうすることで、観念から生じていた罪悪感を洗い流す。

 

最後に、相手は許してくれたという現実を選択するために、

相手を愛してくれた人にするための、「愛してくれて」という言葉と、

ありがとうという、承認で締めくくりをする。

 

これで、判断→罪悪感→恐れ→攻撃性→孤独の連鎖を断ち切るのが目的。

 

・解説

今現在感じる恐れというのは、自分の過去の判断から生じているもの。

その判断というのは、その行為を許してくれなかった人から生じるものであるが、

それは罪悪感へと繋がり、その罪悪感は他者を罰する方向性は向く。

 

そして、その罰した言葉の積み重ねが現在感じる、恐れになっている。

なので、この恐れの流れを過去に判断をしてしまった部分に立ち返り、変える。

 

詳しく解説していくと、

今感じている恐れを「幸せにする」と選択すると、

これにより判断の枠組みが一旦外れるのだが、過去の痛みが生じる。

そしてその痛みは、過去の判断の枠組みに収めようとする。

 

なので、「許してください」という、許してくれないであろう人を許す人にする意味合あのある言葉を使い、

つまり、相手の愛のマインドに焦点を当てるということ。

 

そのマインドの切り替えによって、ごめんなさいが生きてくる。

そしてここで罪悪感を洗い流しといった上手くいくのだが、

愛を感じるような言葉を選択していない以上、恐れと疑いが生じるので、

「愛してくれて」という言葉で、愛を生成し疑いを超え、

ありがとうでその体験を承認して、私はその枠組みを超えて幸せになる。

という風に決意していくわけである。

 

・効果

相手から言われたくないと思っていた言葉や、

相手から言われて傷ついていた言葉が気にならなくなってくる。

 

相手のその言葉は論理という生き物であるのだが、

その生き物を、生き物たらしめてるのは自分の過去の判断。

 

この過去の判断で罪悪感が生じてると、同じような判断を伴っている言葉は、

自分で自分を罰しているので非常に傷つく。

 

なので、今回のワークでは、その罰しざるを得なかったマインドを、

変えていくことで、その傷つくパターンも変えていく。

 

・注意点

過去の痛みが強く生じることがあるということ。

言葉の書き方にもよるが、結構具体的に書かないと、

中途半端な感じとなり、何か違うような、

ただ辛くて苦しいだけのような感じに終わる可能性が高い。

 

また、具体的な言葉を書けた時というのは、

スッと肩の荷がおりたような感じで癒された感じがしたりするのだが、

そこまで入らずに続けているときというのは、

過去に感じた罪悪感とその罪悪感を通した攻撃性の感覚が蘇り、

癇癪のような気持ちへと向かう可能性がある。

 

・対策

相手に言われたことを思い切って書くというのも一つ。

 

相手のその言葉というのは、自分の無意識では判断から生じる罪悪感も結びついているので、その言葉の通りに書くことで、

その判断を手放すことにも繋がる。

 

あくまでこのワークは、判断を手放して愛に変えるというものなので、

その判断を感覚的に感じさせるような言葉で書いていくのが望ましい。

セラピー4。(保存用)

4□行動をしてるかしてないか問わず、過去系で行なった程で書く。

 

・例

私は今日イスに座りました。

私は今日水を飲みました。

私は今日ps4を買いました。等々。

 

・目的

目的は二つほどある。

一つは、自分が自分の意思で選択してないものを、自分の意思で選択でしたことにする目的。

一つは、自分が手にすることができてないものとの、心の距離感を埋める目的。

 

癒着や犠牲があるときの選択は、恐れを動機として行なっていることが多い。

これだと、動作としては簡単な、「水を飲んだ」などの動作が、

水を飲んだという、行動で完結するように感じられなくなる。

 

すると余計な判断が混じることにより、自分の承認をおけるポイントが少なくなる。

そうすると、「水を飲む」という動作の次に本来浮かんでくるであろう、

言葉や思考が浮かんでこなくなり、同じ行動をなぜか繰り返すや。

なぜか、行動が変化していかないという現象に至る。

 

なので、このワークの繰り返しで、思考の流れを意識的に変える。

 

・解説

悩んでるときよりも、思い切って行動した時の方が意外とスッキリするように、

それをすると決めていない時は、色々な思考が頭の中を巡る。

 

これは、欲しいものに関しても同じで、欲しいものを欲しいままにして、

手にすることを選択しないと、

その欲しいものとの距離感は遠くなる。

 

と同時にこれは、「他の人の行動を見ている自分」を、

「それを自分も実際にするな」という程の思考に切り替えるものであり、

つまり、「欲しいけど……」という思考から、

それを「手にすると決めているから、じゃあどうしようか」

という思考に切り替える選択を行うものである。

 

・効果

これにはまだ続きがある。

この手法の場合、何が浮かぶのか、何を選択するかはランダムとなる。

この選択をしようという発想の部分まで掘り下げられたものではない。

 

がしかし、この手法でもそれに向けた足がかりを作ることはできる。

何度か繰り返すことで、同じようなことが浮かぶことがある。

 

例えば「本を読む」が「本をたくさん読む」とか「本を片付ける」とか。

本に連なったことが多く浮かぶことがあったり。

ウォーキング、ジョギング、山登りなど歩く傾向のものが浮かんできたり。

 

自分が今したいと思っているができてないことや、

自分が強くやらなければいけないと思っていること等々、

他者の言葉を恐れで判断した部分、

それに連なる、やれていないなどの罪悪感を引き出すことが可能となる。

 

これにより、癒着のパターンなどが浮かび上がる。

そして、その浮かび上がったパターンを、

「それと同じようなパターンを持った部分はどこだろう」という視点を用いることで、

 

罪悪感や痛みでやりたくても選択できなかったことを引き出し、

再度選択の部分まで至っていくことが可能である。

 

 

・注意点

注意点はいくつかある。

一つは本当に欲しいものとの距離感があまりにあると、

苦しい感情を感じることが多いこと。

 

それは私なんかという思考や、それくらいできるでしょ等々、

底にある劣等感や無価値観などから、距離を置く選択をかつてしただけに、

感じるのは仕方ないことであるが、

選択している内に何がダメなようなことをしてる感じになることがある。

 

・対策

しんどかったらやめることも一つ。

 

続ける選択をする場合は、これで私の欲しいものが手に入るんだなぁくらいの軽い気持ちで行うのが良い。

 

ただそのマインドを信頼するとき、「こんなんで手に入るわけがない」「こんなんで何の意味がある」等々、

過去の痛みから癇癪のような気持ちが生じることがある。

 

なので、そのマインドと同時に、

やってみて繰り返して、何かダメだったら別のことをやって繰り返して、

いつか必ず手にしようくらいの先延ばしのマインドが望ましいように感じる。

 

 

今回もお読みいただきありがとうございました。